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 2012年1月からインドネシアから横浜に本帰国して暮らしています。パパ、小4のハル10歳、小2のネネ8歳、ナナ6歳の5人家族です。  04年から07年まで過ごしたケニア・ナイロビ生活、08年から11年末ジャカルタ生活。  ポレポレ&ティダ・アパアパに生活しています。                                        『記事のタイトルをクリックして、コメントを送っていただけたら、嬉しいです』
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DSC00151.jpg 実は、2012年1月に本帰国しました。
計画性のない性格なので、帰国直前まで、やり残したことを駆け足で頑張ってやっていました。3年2ヶ月間お世話になったインドネシアで悔いを残さないようにです。
インドネシアの最後の思い出と、これからのことも細々と綴っていきたいと思います。

 イスラム教の女性が頭と耳を隠すスカーフを「ジルバップ」と言います。(以前、形によって細かく名称が違うとインドネシア人の友人に教えてもらったのですが、忘れてしまいました)。
  東アフリカ・ケニアに住んでいた頃は、「ブイブイ」という真っ黒で頭から靴まですっぽDSC00154.jpgり隠れる物をまとっている女性をたまに見かけていました。大半はキリスト教徒でしたが、一部にイスラム教徒もいました。
この、インドネシアのジルバップを被ってみたいという気持ちがずっとあったのですが、なかなか機会に恵まれなかったのです。

 インドネシアのジルバップは、カラフルでビーズやスパンコールで装飾されていてお洒落なんです。必要もないのに、売り場で見かけるとついつい見入っていました。 
買いもしないのに、大人の私が被らせてもらうほどの勇気はないので、長女 寧々に子供用のジルバップを体験させてもらおうと、お店のお姉さんにお願いしました。意外にも快い反応で、お手伝いまでしてもらいました。

 レースのヘアバンドで髪の毛が出ないように留めて、フード状に作られたものを被ります。長女ネネ(小2)でも、不思議と敬虔な雰囲気になりました。ものすごく小さな赤ちゃんも被っていたりするので、とっても可愛いらしいんですよ。
 
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 子供達が通う、ジャカルタ日本人学校の朝は早くて、私はいつも5時に起きてお弁当を作っていました。今は冬休みに入り、そして、本帰国もするので、もうこんな早起きはしなくてすみます。
 お友達とお別れするのは、とてもとても寂しいですが、早起きしなくてすむのは、嬉しいかな・・・。

 そうは言っても、習慣で6時には目が覚めてしまいます。
 バルコニーからの早朝の景色、もう見られなくなるなんて、夢のようです。
DSC00289.jpg昨年12月、インドネシアから日本への帰国の直前に、航空便を出しました。
この荷物が日本に到着するのは、2週間後です。ちょうど日本の小学校の始業式の1月10日になります。子供たちの学用品がメインで、ピアニカ、絵の具道具、習字道具、お道具箱。そして、ぎりぎりまでリビングに飾っていた、クリスマスツリーもお願いしました。

 船便でだいぶ空っぽになった部屋が、航空便が出てますます寂しくなりました。
でも、真冬の日本に入国するまでの、あと5日間の夏服と、帰国後すぐに必要な、ありったけの秋冬物の服を手荷物で持って帰るので、まだまだ物に囲まれています。

 お世話になった方々ともお別れです。こちらで購入した車も無事売却が済み、まずはドライバーさんとお別れです。運転手のスカルノさんは「私は子供が好きなんでDSC00283.jpgすよ・・・」と伏し目がちに子供達ひとりひとり抱きDSC00292.jpg上げて別れを惜しんでくれました。

私がぎっくり腰の時も、デング熱の時も、ものすごく心配してくれて、紳士でかっこいいおじ様でした。

 「ニョニャ(奥さん)、インドネシアに遊びに来たら、電話してください」
 優しい眼差しで、強く握手をしました。

 気がかりだった再就職先ですが、タイミングよくドライバーさんを探していた日本人の友人家庭で快く採用していただきました。
hikkosi.jpg 本帰国の準備に追われています。今日はついに船便を出します。
日本にこの荷物が届くのは、ちょうど一か月後の予定だそうです。

 引越し業者さんに「荷づくりはこちらで行いますので、仕分けだけしていてください」と軽く言われたのですが、その仕分けだけ、がかなり大変な作業でした。

 何を日本に持って帰り、何を置いていくのか。もう必要ないかもしれない・・・けど・・・、と迷いつつ廃棄処分にしたものも多かったです。

 来年の夏には着られないはずの子供服。日本では着られない時代遅れの私の服。3年前、日本から持ってきたのに全然聞かなかった音楽CD。夫が出張のたびに運び込んだ大量のインドネシア土産などなど。

 はあー、まったく引っ越し準備は疲れます。夫も子供達もまとめて一緒に船便で出してしまいたい気持ちです・・・。
DSC00091.jpg 末っ子ナナ(6才)の最近の疑問。

「変なゾウだねー、へぇー昔のゾウなのか・・・。 ママは見たことある?」
 (ママは大昔の動物じゃないからね)

 パパのおっぱいを見て、「ね~、パパはブラジャーしなくていいの?」
 (そろそろスポーツブラくらいは必要かも)

 年末の引越しに向けての疲れもぶっ飛びます(笑)
 赤ちゃん用おかし、「たまごボーロ」は子供達と私の好物です。
ジャカルタの日本食スーパーでもたまに見かけるのですが、売り出し中でも16,000ルピア(約160円)とお高いので我が家ではぜいたく品の位置づけになっています。たまごボーロが食べたくて、食べたくて、コーンスターチと卵と砂糖で手作りしたこともありますが、同じ大きさで小さく丸める作業が面倒で、細長~くスティックにしたり、色々と苦労しました(笑)。
DSC00046.jpg RATU PLAZA内のLOTTE MARTで買い物中、我が家の子らハルネネナナが興奮しながら私のところに集まってきました。
 「ママー、これ、おいしいの~」見てみると、試食用のクッキーで、たまごボーロそのものです。

 焼き色も、形もまばら個性的・・・なんだか親近感。
 味は問題なしでした!
 「Boro Mon」 INDONESIA (8,250ルピア 小袋6パック入)
 ジャカルタ日本人学校の図書室には、豊富な本があり、子供達は貸出させてもらっています。親としては、大変ありがたい限りです。図書館はPTAの方やボランティアの方で整理したり、カバーをかけたりしてくださっているそうです。また、本帰国される方の本の寄付などにも支えられているそうです。
 日本の本は紀伊国屋で購入できるのですが、定価の二倍以上も高いので、我が家はもっぱら学校の図書室や古本屋の「まんきつ」、ジャパンクラブ(JJC)の図書部にお世話になっています。
DSC00042.jpg 先日、長女ネネ(小2)が学校から本を借りてきました。絵本バックを見てみると、見たことのある本です。『またこれを借りてきたのか・・・もっと色んな物を読めばいいのに』なんて内心思いつつ、学校に行っている隙に読んでみました。

 本の内容は・・・、小さな捨て猫を拾った、小学生の女の子のお話です。自分のマンションでは飼えないからと、飼ってくれる人を探し始めます。クラスメイトにバカにされながらも、ポスターを貼ったり、学校で声掛けをしたりして、やっと先生のお友達に引き取ってもらえることに。子猫を保健所にだけは行かせまいと一人でがんばって、やっと飼ってくれる人が見つかったのに、子猫はその人に抱かれるのを嫌がります。すっかり仲良しになっている子猫に「すぐ迎えにくるからね」と言い聞かせてお別れします。「うそつきって怒ってるかな?」と心配したりする、優しい女の子。本当はずーっと一緒にいたかったのにね・・・。

 短いお話ですが、私も後半のお別れの場面でウルウルしてきました。

 午後3時半、ネネが学校からスクールバスで帰ってきました。
 「ネネ、これ借りたの何回目だっけ?」と聞くと、「4回目だよ。一年生の頃も借りたから。」と答えます。
f3ed6af7.jpg 妹ナナ(年長)に読んで聞かせていました。私もすでに知っているお話なのに、また同じ場面でジーン。観察していると、ネネもやっぱり同じ所で声を詰まらせていました。(ナナ~、ちゃんと聞いてるの~?)

 終業式まであと三週間、年末には本帰国をするので、JJSのお友達とお別れです。離れていてもお友達はずーっと変わらないよ。
一緒にいられる時間を大切に、いっぱいいっぱいみんなと仲よくJJS小学校生活を楽しんでね!
 「ムジです。みなさんお元気ですか?田舎から戻ってきました。ベビーと一緒です。今日は家にいますか?」

DSC03823.jpg 妊娠を期に仕事を辞めて行った、お手伝いさんのムジちゃんから連絡がありました。
「きゃ~嬉しい!午後からは家にいますよ。ぜひ遊びに来てね」と返事をしました。
 外出先から戻ってしばらくすると、ムジちゃんと9月17日生まれの生後一か月半の赤ちゃんがやってきました。「久しぶり~!赤ちゃんの名前は?」 ムジちゃんとは4ヶ月ぶりの再会でした。
 赤ちゃんの名前は、Eliviaちゃん(愛称はフィアちゃん)。くっきり二重であごがキュンと小さく、鼻筋が通った、ものすごくかわいい赤ちゃんです。
 華奢なゴールドのピヤスがキラキラしていました。生後2週目に女の子のほとんどはピヤス(Anting)を開けるんだそうです。ムジちゃんがベDSC03811.jpgビーの時は、紐を耳たぶの穴に通したと話してくれました。

 ムジちゃん母子が訪ねてきてくれた翌日は、犠牲祭(Idur adoha)だったので、牛投資をしていたムジちゃんに、あの牛は売ったのと聞いてみました。真面目で働き者のムジちゃんの「投資用の牛」は、初め三頭もいたのですが、一頭はお兄ちゃんが結婚の時に、両親に勝手に売られてしまい、残り二頭になっていました。
DSC03803.jpg 気になる残りの二頭ですが、なんとムジちゃんの二度目の結婚式費用に使われたんだそうです。ムジちゃんの結婚式は、既にご主人の実家ですませているのですが、どうしてもムジちゃんの実家でも挙げなさいと両親に押し切られて、今回の里帰り出産を機に「二度目の結婚式」を挙げたんだそうです。一度目の費用も半分払い、二度目もほぼ全額払ったと言うので、全くどれだけ彼女はしっかり者なんでしょう。
 以前、「牛はなんとしても犠牲祭の時期に売りたいの。高く売れるから!」と張り切っていたのに、家族に押し切られて手放すことになったそうなのです。約3万円で買った仔牛は一年経って約6万円で売れたそうです。それもすごいと思うのですが、犠牲祭の時期だったら、きっと9万円近くなったはずなのに・・・とぼやいていました。
 「銀行に預けてもこんなに増えないけど、アニマルを買うと、いいのよねー。」
4de8e11b.jpg 堅実なムジちゃんとの会話に、浪費化の私はいつも教えられています。
 次女ナナ(年長)の着れなくなった服と、少しのお祝いを渡しました。
 ムジちゃんからは今が旬のハルンマニス・マンゴーのお土産を頂きました。
 赤ちゃんを抱っこして重いマンゴーをぶら下げ、バスを乗り継いで会いに来てくれたのね。本当にありがとう。ムジちゃんとムジちゃんの家族がみんな幸せそうで、私達も幸せな気持ちでいっぱいになりました。
DSC03813.jpg
 慣れた手つきで抱っこして、嬉しそうに微笑むカニちゃん(今の我が家のお手伝いさん)。フィアちゃんをじーっと見つめて、赤ちゃん語で話していました。
adha2.jpg 11月6日(日)イスラム教のお祭り「イドゥル アドハ(犠牲祭)」がありました。イスラム教の二つの大きな祝祭、イドゥル・フィトゥリ(断食明けを祝う日)とイドゥル・アドハ(犠牲祭)のうちの一つです。 

 この日、寄付で集まった、生きた牛やヤギを地域のモスク(イスラム教の礼拝堂)で民衆の見守る中、さばかれます。住民には肉の引換券を配ってあり、お手伝いさんのカニちゃんの住む地域では、一人約2kgももらえるそうです。
 聖なる地、サウジアラビアのメッカへの大巡礼こと、「ハッジ」には、健康で経済的に可能な教徒は、一生のうちに一度は参加するんだそうです。一年に一度のハッジが終わる日の翌日が「イドゥル・アドハ」(犠牲祭)です。とても重要な祝日なんですね・・・。

 いけにえの儀式は古い言い伝えがもとになっているそうです。『預言者アブラハムが愛する一人息子を神へいけにえとして捧げなさい、という夢を見ました。神の仰せのとおり、断腸の思いで愛する息子を捧げようとした瞬間、神はアブラハムの信仰の深さを知り、羊を代わりに捧げるようにと仰った』 という話です。
adha1.jpg 日本から遊びに来ていた、甥っ子と、ハル(長男小4)・ネネ(長女小2)・ナナ(次女 年長)を連れて、朝9時に近所の小さなモスクに出かけてきました。

 普段は人気の少ない小さな路地に住民がたくさん集まっていました。
近づいて見ると、すでにぐったりとした、体長2メ-トルもの大きな黒い牛を大人三人がかりで解体していました。私が緊張していたためか、周囲の空気もキーンと張っているように感じました。皆がただ一点を見つめて、厳粛な空気で無言です。町のまとめ役のような男性が、「もっと前列で見なさい」と促してくれましたが、さすがに強烈すぎて遠慮しました。

 うちに戻り、「ふーっ」とため息。胃が重~く、気持ちも沈んでしまいました。
犠牲祭を見に行く前には、学校の先生から聞いた話を披露して、得意気だったハルも、実際の様子を見て、口数が少なくなっていました。聞いた話と自分の目で見た衝撃の、あまりの違いに気づいたことでしょう。

 記憶がなるべく新しいうちに、子供達3人を集めて、食べ物の話をしました。
すべての命を大切にすること、人の為に犠牲になる生き物への感謝の気持ちを忘れないこと。
無用な殺生はしないこと・・・。 これからは、残さずたくさん食べて欲しいな、どうかなあ・・・。
bungga.jpg 不思議と残っている、長男ハル(小4)の英語の理解力に驚くと同時に、日本語の未熟さに随分と悩まされています。
 4年前、日本に帰国後、私たち夫婦は深く悩みました。ケニアでは、3歳でインターナショナルスクールに通い始め、幼いながら本人は、必死に英語の世界で自分の居場所を探していました。スクールの園長先生の、「私達にお任せ下さい」との言葉を信じて、クラスに日本人はハル一人、私達はそっと見守る事しかできませんでした。本人の努力と先生方のサポート、クラスメイトのお陰で赴任の3年で親友も出来て、良い友人に恵まれたなと感謝しました。
c27b22b0.jpg 治安は不安定なものの、優しいケニアの人々に恵まれ、家族全員が幸せだった生活に区切りをつけて、日本での新生活に希望を持って本帰国しました。
 日本での生活は、ハル6才、ネネ4才、ナナ2才、皆まだ幼かったこともあり、また、ケニア生活もたった三年間だったしと、問題なく環境に馴染めるものと信じていました。ところが、ハルの友人関係がうまくいってないことに、帰国後半年経った小学1年生のころに気づきました。細かい状況は省きますが、痩せっぽっちの学校一小さいハルが、おでこから血が出るほど床に打ち付けて、行き詰ってもがいているのを見た時、帰国後薄々気になってはいた、彼の日本語の未熟さが重大な原因の一つなのだと思い至りました。
 ハルの経験から、両親が日本人であっても、子供の言語力は同世代と共に学ぶ以外に、「生きた言葉」は学べないと感じました。大人からは一見問題のない日本語のようでも、子供同士では奇妙に感じる言葉遣いがあるようなのです。
 DSC03700.jpgケニアでの3年の生活から日本での1年の生活を経て、現在インドネシアでは日本人学校に通っています。こちらで3年が経過しましたが、いまだに「ニュアンスのずれた日本語」を使っています。少々乱暴な話し言葉を使い始める小学四年生ですが、それとは違う、「ずれた日本語」を使ってコミュニケーションに支障をきたしているのです。 実は、四年生の一学期の通知表に「言葉遣いを改めたことで、友達関係が良くなってきました」とありました。担任の先生に相談したことはなかったのですが・・・正直、驚きました。先生って素晴らしい!
少しずつ日本語の微妙なニュアンスの違いを使いこなせるようになってきているようですが、相変わらず、作文などは二年生の妹よりひどい様です。全く内容が理解できない文章、混乱しているのがよく分かります。

 ハルは小学1年生の一学期だけ日本にいましたが、同じくアメリカから帰国してきた同級生の女の子がプチ登校拒否になったと後に聞きました。また、知人の高学年のお子さんで、インターナショナルスクールから日本の学校に転校した際、クラスメイトに馴染めず、結局インターナショナルスクールに転校した例もあります。

 もちろん個人差があるでしょうが、多くの帰国子女が「日本語のずれ」により仲間に馴染めないケースは、ますます多くなる一方だと思います。インターナショナルスクールから本帰国するのは恐怖とも言える不安があるはずです。また、日本人学校からであっても、本帰国後の不安がない訳ではありません。

 親の都合で言葉や学校、生活スタイル全てが変更させられる子供達です。わが子の将来の幸せを願うのはもちろんですが、心の成長が非常に重要な幼児期・学童期の今の幸せも見つめ、慎重に最良の選択をしていかなければいけないなと身を持って感じています。

 ぼんやりと考え事をする時、気づけば窓からの景色をじっと見つめています。いつでも満開のフランジバニの花が、思い悩むことを癒してくれます。 
kinobori.jpg 長男ハル(小4)が3才~6才までケニアで生活していた頃、なによりも英語で苦労しました。ナイロビには日本人学校幼稚部がないので、インターナショナル幼稚園に通っていました。クラスには日本人はたった一人です。登園初日に「日本人が一人いたよ!」と喜んだのも束の間で、そのクラスメイトは韓国人の女の子、プーキョンでした(笑)。初めの頃は無言を決め込み、トイレも我慢しておもらしするほどでしたが、お友達と遊んだり、幼稚園での英語レッスンをしていくうちに馴染んでいきました。英語なんて私は到底教えられないので、たった一人で無我夢中だったんだろうなと、彼の苦労を思うと胸が熱くなります。

 幼少時代の3年間の英語生活を経てから、日本で1年間、そして現在はインドネシアの日本人学校で英語とは縁のない生活が3年過ぎました。

 小学校の中学年になり、幼少時代の英語力は意外にも潜在的に残っていることが、色んなシーンで気づき、驚かされています。昨年、小学三年生の頃、突然ハルが「英検を受けてみたい」と言い出しました。
私はずっと、ハルは英検にチャレンジしないのかな?と内心思っていたのですが、彼の性格だと失敗を恐れているのかも知れない、本人が言い出すまで待ってみましょうと、見守ることにしていたのです。

 三年生で5級~チャレンジしてみることにしました。過去の問題をネットで入手して試しに解いてみましたが、予想通り全くリーディングができません。問題を読んであげると、かなりの正解率なのですが、一人で問題が読めなければ意味がありません。I 、He、 Sheも読めず、一語一句、私と一緒に読み進む調子でしたので、試験日までに間に合わないかもと諦めたくなりました。こつこつと一緒に読んでいるうちに、リーディングが少しできるようになってからは、5級、4級、3級を合格することができました。
 四年生になり、英検準2級を受験しました。さすがに単語力がないので、過去問題を一緒に取り組みました。驚くことに、単語も分からないのに彼は、並び替えの問題などを正解するのです。
 理由を聞いてみると、「なんでだか分からないけど、この順序じゃないと気持ち悪いから」と言うのです。

  理屈じゃない、のか・・・。

 昨日、準二級の筆記試験の結果通知がありました。

 「ママ、英検、落ちた・・・・・・。 嘘だよ (にんまり)」
 (こんにゃろ~脅かして~!むかっっ。 ほっと安心しました。)
halloween4.jpgDSC03656.jpg イスラム教徒が世界一多いインドネシアでは、キリスト教のハロウィーンを祝う習慣は目立って行われないのですが、日本人など外国人が住むアパートやタウンハウスなどでは、子供達が仮装して楽しんでいるところもあります。
 昨日、私たちが住むタウンハウスでも、ハロウィーンをしました。

halloween3.jpghalloween1.jpg 敷地内の照明には赤いセロファンが貼られ、木にも手作りお化けがぶら下げられて、効果音も流されるなど、お祭り好きなマネジメントが盛り上げてくれました。
 タウンハウスなので、敷地内の各家庭を子供達が気軽に歩いて回れます。仲よしのお友達同士でお菓子をもらいに訪ね回り、本当に楽しそうでした。

 残念なことに、途中でものすごい雨が降ってきました。雷もゴロゴロと鳴り響き、ますます恐怖感の増すハロウィーンになりました。
 次女ナナの魔女の帽子は私が紙で作った手作りだったので、雨でぐっちゃり・・・(笑) 。髪の毛もびちょびちょになり、魔法が解けちゃったような様子で戻ってきました。それでもお菓子が袋にいっぱいで、楽しい嬉しいハロウィーンでした。
 私達のジャカルタの生活は、ちょうど3年経ちました。 実はジャカルタに着いた日は私の誕生日でしたので、2つの意味で記念日です。
 
 最初、ジャカルタが思わぬ大都会なのにびっくりしました。振り返ると、たくさんの魅力的な人達との出会いがありました。

 今年、夫から誕生日に贈られたプレゼントは、詩集「おんなのことば」(茨木のり子)でした。どきっとする言葉にいくつも出会いました。その中の二つの詩がすごく心に響きました。
 
IMG_7758.jpg ~自分の感受性くらい~

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて (以下 省略)


  ~ 汲む ~

 初々しさが大切なの
 人に対しても世の中に対しても
 人を人とも思わなくなったとき
 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました (以下 省略)

 夫によると、二つとも有名な詩だそうです。背伸びせず、自分のペースで私が理想とする「大人」になっていきたいものです。
  「ネネー!綿(わた)だよー。探してたでしょー!」。 小学校から帰ってきたばかりの長男ハル(小4)が玄関で元気よく叫びました。
 前の日の夜、妹のネネ(小2)が「学校で工作に使うの」と言いながら、家で綿をさがしていたのです。
ハルは「学校に綿の木があるんだよ。今日、運よく僕の目の前に落っこちてきたから拾ってきたよ」
kapok.jpg
 ここには「カポック」という名前の木があり、実の中に綿がいっぱい詰まっています。ハルによると、野生のカポックは実が大きくなると綿が周りに自然に弾け飛んでしまうらしいのですが、人間がいろいろ改良して、弾けずに実の中に綿が詰まったままのものがあるそうです。

 自然の綿のお土産なんて、なんて素敵なの! 私が裁縫箱から見つけた真っ白な手芸綿よりも、ずーっとステキです。

 家ではケンカばかりしてても、学校の庭でポトンと落ちてきたカポックを見て、ふと妹のことを思い出したなんて。やっぱり兄妹なのね~。
IMG_7566.jpg ジャカルタ日本人学校の幼稚部の運動会がありました。次女ナナ(年長)の幼稚園最後の運動会です。「あー、これが我が家にとって幼稚園の運動会は最後になるんだね」と夫が感慨深く洩らしました。

 思えば長男ハルが3歳だった最初の幼稚園運動会以来、長女ネネ、次女ナナと8年も続けて毎年毎年、幼稚園の運動会に参加してきました。IMG_7400.jpgIMG_7425.jpgこれがとうとう最後なのねと思うと、小さな園児達の一生懸命な姿がいっそう、愛おしく映りました。


IMG_7516.jpgIMG_7506.jpg 小学生参加の競技で長男ハル(小4)と長女ネネ(小2)。慎重な性格のネネと、一気に運ぼうとする無謀なハル。

 


IMG_7577.jpg クリ?じゃありませんよ。園庭に実っていた果物ランブータンです。もじゃもじゃした柔らかい棘がある、奇妙な外見ですが、中には意外にも、つるんとした真っ白なライチに似た実が入っています。



 ・ネネ年長 ジャカルタ日本人学校幼稚部運動会 http://fucchinchi.blog.shinobi.jp/Entry/159/
 ・ケニア キューナ幼稚園 ハル&ネネ http://fucchinchi.blog.shinobi.jp/Entry/26/
ぷろふぃーる
HN:
ふっちんち
性別:
女性
自己紹介:
 ☆ 2012年1月3日 ☆
 ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。

◎当ブログの画像に関する著作権は    『南色日和 ポレポレふっちんちケニア生活』に属します。 

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私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・
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