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マーガレットは日本人家庭で12年も働いているベテランです。 そのため、日本語を少し知っています。 例えば、「暑い」「寒い」「痛い」「お風呂」「ご飯」「牛乳」「ダメ」などで、子守をする時、英語と混ぜてよく使ってます。
夫も以前、背後に私がいると勘違いして、振り向かずに「きょうは雨かな~?」と尋ねたら、後ろでマーガレットが「雨じゃない」と日本語で答えてビックリした経験があるほど。
でも、「ケッ」って何でしょう? (ナナが日本語を理解できないと思っていた)マーガレットは続けて、得意そうに「ナナは日本語も分かるのよ、見てて」と言うや、 「ナナ~、アナザー(Another) ケッ!」と勢いよく言うと、ナナは素直にもう一方の手をニュっと出し、またもやタオルでフキフキされていました。
目尻を下げてマーガレットはニコニコと満足顔で、「ナナは『ケッ』が分かるのよ。頭がいい子よお」と、まるで我が子を自慢するように話します。
もしかして、「手」のこと?? 自信満々なマーガレットに対し、私は勇気を出して「マーガレット、ハンドはケッではなくて、テなんだよ」と発音を訂正しました。 驚いて目を見開いた顔のマーガレット。 ごめんね、せっかく、ナナに仕込んでくれたのに…。
ケニアの首都ナイロビには、多くの外国人が住んでいるため、たくさんの外国料理屋さんが繁盛しています。 先日はエチオピアの代表的な料理「インジェラ」を友人7人で食べに行きました。 ケニアの隣国ですので、ナイロビには多くのエチオピア人も住んでいて、エチオピア料理屋さんが何件かあるのです。
友人は東京のエチオピア料理屋さんで、このインジェラ料理をなんと8000円!も払って食べたそうですが、ケニアでは、1人あたり350円ぐらい。20分の1以下…。 6種類のフルーツを入れた色鮮やかなジュース(チマキと呼ばれます)と食後のエチオピア・コーヒーなど全て含めてですので、非常にお得です。
特に、このチマキは絶品! ライム、パイナップル、マンゴー、グアバ、アボガド、パパイヤがグラスの中で層になっており、1種類ずつ飲んでもよし、スプーンで全部かきまぜて飲んでもよし、です。
インジェラとは穀物の粉で作った、薄い蒸しパンのような物で、お酢をまぜたような酸味が特徴です。まず、大きな丸形のインジェラの周囲に、緑豆やひよこ豆のペースト、ビーツを煮たものなどを彩りよく載せたお皿が出てきました。その後、スパイスの利いたソースに、お好みのお肉やゆで卵をまぜたものがインジェラの上に載せられました。ソースは本格カレーみたいな味で、美味!
その後、細長いインジェラをクルクルっと巻いたものが運ばれてきました。 写真右のように、まるで「おしぼり」みたいで、このインジェラを手でちぎってソースなどを上手にすくいとって、ホイっと口に放り込む訳です。
インジェラを食べるのは初めてで、なんて酸っぱいんだろう、と驚きました。でも、酸っぱい、酸っぱい、と思いつつ、みんなでワイワイ話しながら食べているうちに、あっという間になくなってしまいました。
この酸味のせいで、好き嫌いがはっきり分かれる、と、日本人の友人は言います。 私は初体験だったので、この酸味が少し気になりましたが、「3回も食べれば慣れるものよ」と、インジェラ好きの友人は断言してました。
モリスは、やっぱり男1人だと寂しいから第2夫人を迎えたと言います。 第1夫人は故郷のケニア西部カカメガで、自分たちの土地をや家畜を管理しているし、子供の養育もあるため、ナイロビには来られない。でも、カカメガの生活では現金収入が望めず、モリスはナイロビに出稼ぎにこざるを得ない。でも寂しい…というケニアでは一般的なパターンのようでした。
さらに「第1夫人は反対しなかったの?」と無遠慮に尋ねてみました。 「自分が1人で暮らし、(第1夫人が)知らない女性らを求めながらブラブラ生活するより、きちんと第2夫人として決まった女性を迎えた方が安心する。 それに、2番目の妻は働いて、お金を故郷に送っている。 自分の給料だけでは、子供の教育費を出すのは無理だし」と語りました。 第1夫人との間にモリスはなんと子供が6人もいます。上は今28歳、下はまだ9歳だそうです。しかし、第2夫人との間には子供がいません。
もともと モリスは「第1夫人はもうおばあちゃんなんだ」とよく言っていました。 ところが先日、モリスのナイロビの自宅を少しだけ訪れる機会があった際、たまたま第1夫人がナイロビに来ていて、2人の夫人が家にいるところに遭遇し、それがウソだったことが判明しました。
第1夫人はしっかりしたお母さん風、でも、全然おばあちゃんではありませんでした。 第2夫人はふっくらとした若い美人でした。やっぱり若い人がいいのか…と。
モリスは家に入ると、2人に「挨拶しろ」と言ったのですが、私の突然の出現に2人は表情が硬いままで、しぶしぶあいさつって感じでした。 第1夫人と第2夫人と私(第3夫人?)が同席する一室の中で、すごーく、気まずい空気が広がっていきました、なぜか分かりませんけれど。
そういえば、お友達の日本人女性は「モリスって格好いい! 舘ひろしみたいで、私の好みだわ」とか以前言ってました。 (うーん、ムゼー(スワヒリ語で年輩者)だから確かに渋いけど…)。意外とモテるのかもしれません。
その後、独身のお手伝いさんシープローズ21歳にも、一夫多妻制をどう思うか尋ねてみました。 「嫌い」と即答。 「私のおじいさんには9人の妻がいて、その妻同士の仲がうまく行ってなかったと、私の母親から聞いたことがあるから」との理由でした。「もし大好きな人がもう結婚していたら、第2夫人になる?」と尋ねると、絶対に結婚しない、と断言していました。さすが若い人は・・・。
それで、既婚のお手伝いさんマーガレット(40歳代?)にも尋ねてみました。すると「夫がもし第2夫人を迎えたいと言ってたら、納得いく理由ならば反対しない」と意外な発言。 「相談してくれるなら、まだいい。 中には妻に内緒で、第2夫人を籍に入れてしまう人もいるから」と言うのです。
おまけに「キクユ民族の女性は性格が激しいから、夫がそんな話を持ち出したら、逆上して毒を盛って夫を殺すこともよくあるんだ」と、聞いてもいないのに、またキクユの悪口になってしまいました。 まあ、彼女はルオ民族ですし。今年は大統領選挙があるので、キクユVSルオの対立はどんどん激しくなりそうです。
じつは今日、ケニアの小学生に、日本の芸術や伝統を紹介する催しが、ナイロビの日本大使館でありました。 私は日本人会コーラスグループ「マライカ(天使)」に所属しておりまして、生徒たちの前で、「春の小川」など四季の唄を歌いました。地元のテレビ局クルーも来て取材!するなど注目度もバツグン??でした。
その際、不思議に思ったのですが、ケニアの子供たちは日本では考えられない程、お行儀良く、真剣な表情で聞いていました。 10才位の子供って、こんなにお利口さんでしたっけ? 確かに、我が家のお手伝いさんのマーガレットの子供たちも、5人とも、とてもお行儀が良かったし。 我が家の子供たちとは正反対…。
それで、マーガレットに、子供たちのしつけが良い理由を尋ねたところ、ケニアの小学校での不思議な『おしおき』の話を教えてくれたのでした。
担任の先生はみんな、小さな木製の玉を1つずつ持っているそうです。何か悪いことをした生徒に、その玉を手渡します。 「え、それだけ?」と拍子抜けしますが、その生徒は玉を他の生徒に知られないように、こっそりポケットに入れ、他に悪いことをした子供を見つけたら、その子に玉を渡すのだそうです。 ナニ? 何かのゲーム?って感じですよね。
そんなことを繰り返し、学校が終わったとき、先生はその日、玉をもらった生徒たちを教室の前に並ばせます。 そして、生徒に棒を渡し、自分で自分を罰として叩かせます。その後、自分以外の悪いことをした生徒たち全員をも棒で叩かせるそうです。それって集団リンチ?
叩く力もそれぞれで、優しい子は手加減して友達を叩き、そうでない子は力いっぱい叩くとか…。 とにかく、悪いことをした子供が多ければ多いほど、自分が叩かれる回数が増えるという不思議な罰の仕組みなのです。
うーん…。 これって一体どういう意味があるのでしょう? マーガレットは子供同士で叩く方法は、友達を良い子にするために叩くのだから、良いことだと話します。 それに、先生が自ら手を下さないので、教育委員会も「多い日も安心」って感じなのでしょうか?(笑)
でも、私はこの話を聞いたとき、「ケニア人は決してケニア人を信用しない」という、ときどき地元で聞こえてくる話を思い出しました。 例えば、うちの運転手さんのモリスも「俺はケニア人を信用しない。信用できるのは家族だけ。たとえ、兄弟でも密接に連絡していない兄弟は信用できない」と断言するほどです。
アフリカ各地に出張する夫も、よく「アフリカの最大の問題は、経済や政治の貧困じゃない。 社会生活の中で、人々がお互いを全く信用しなくなっていることや、モラルの低下の方だ」と言います。
子供たち同士でお互い監視させるというのは、本当に良い仕組みなのかなあ? 友達との信頼関係を築くことを学ぶ大切な時期なのに、と私はちょっと複雑な気持ちになりました。
そんなハルですが、3才3カ月でケニアにきた当初は毎朝まるで「戦争状態」でした。幼稚園の初日、クラスにいた韓国の女の子を日本人と思い、「1人だけ日本人がいたよ」とホッとしたように言いました。 しかし、すぐに彼女とも言葉が通じないと分かると、毎朝、幼稚園に着くたび、大声で泣きさけび、身体をよじって抵抗。園長先生や担任の先生に抱きかかえられてクラスに運ばれていました。
その可哀想な姿を遠くでウルウルと1人見守っていると、先生から「お母さんは早く帰って」と逆に怒られる始末…。その後、ハルは突然、家でおもらしをし始め、理由がわからず「何でトイレって言えないの?」と怒ると、「だって何て言っていいか分からないんだもん」と泣きだしました。 家で使う日本語の「トイレ」と、幼稚園で使う英語の「トイレット」の間で、頭が混乱していたみたいで、私も一緒に泣きたいほどでした。
子供はすぐに慣れるよ、なんてよく言いますが、子供だって英語だけの環境にいきなり放り込まれたら、やっぱり、大変な葛藤があるんだな、と、そばで見ていて本当に可哀想になりました。 一時は幼稚園に行かすのを止めようかと真剣に悩みましたが、その後、1年ぐらいかけて、ゆっくりと少しずつ幼稚園にも慣れ、おとなしい性格の子から友達をどんどん増やしていき、その友達と遊ぶことで英語も上達していきました。
ところで、このキューナ幼稚園の子供たちは多国籍なので、英語を基礎から、きちんと教えます。もちろん、ABCD…から始めるわけですが、そのまま日本のように、エイ、ビー、シーという読み方では教えません。発音で教えるのです。 ア、ブッ、クッ…という感じです。 また、Sh も人さし指を立てて口にあて、シュィー。 L も棒キャンディーをなめるように舌をだして、レレレ…。 Th も舌を少し出して軽くかみながらスッ。
なるほどなあ…と感心して私もハルに教えてもらいながら、家で一緒に練習しました。 この発音で覚えていくと、初めての英単語でも文字を追いながら結構読めるし、しかも、発音はバツグン!になる訳です。 日本の学校でも、こういうふうに教わっていたらなあ、と今更ながら腹が立ちます。
まあ、ネイティブの子どもたちからすると、ハルの英語能力はまだまだ語彙も少ないし、幼稚らしいのですが、ハル自身、すごく英語に自信がついたおかげで、お構いなしに英語で口喧嘩もするし、1人で友達の家にお泊まりに行くことも頻繁になりました。 でも、そこが家庭ではドイツ語を話していたりして、「イマニュエルは家では英語で話してなかったよ」とか驚いたりしています(笑)。世界は広いんだよ、ハル!
ちなみに、我が家では全く英語を教えませんが、子供たちはお手伝いさんやドライバーさんとは英語で話しています。ケニアは国語はスワヒリ語ですが、公用語は英語なのです。 そのせいで、二女のナナはまだ1才5カ月ですが、「ママ、ヒアー」「パパ、ヒアー」「(お菓子を指さし)ヒアー」と here を駆使してコミュニケーションし始めました。 お手伝いさんのマーガレットとは特に仲良しで、意思疎通もバッチリらしく、先日、マーガレットは私に「ナナは日本語を理解できているの?」と心配してくれたほどでした。
彼女の家は、ナイロビ市内のカワンガレというスラム地区にあります。 ナイロビでお手伝いさんをしている人たちの多くは大体、ケニア西武など地方の出身者が多く、首都ナイロビに出稼ぎに出てきて、スラム地区かその周辺に住んでいます。 特に西武の主要な民族ルオの人たちが多いので、ナイロビ周辺の主要民族キクユの悪口をいつも言っています(苦笑)。 キクユの人も大体、ルオの悪口を言っていますので、お互い様って感じですけれども。 面白いことに悪口の相場も大体決まっていて、「キクユは金に汚い、ずるい」、「ルオはいばっていて偉そう」・・・。 まるで子供の喧嘩なんです。でも、いい大人が本気で言っています。
それはともかく、私と子供3人は念願のマーガレット宅訪問に向けて車で自宅を出発しました。でも家の50m手前までしか車で行けず、あいにくの雨の中、ズルズルと滑る泥道を恐る恐る歩いていくことに・・・。 トタン屋根の家がびっしり建ち並ぶ一角を入っていくと、彼女の家がありました。
小さな入り口のカーテンをくぐると、4畳半ほどの広さの部屋がすぐ目の前に。余りに目の前なので「え、ここ?」って感じでした。 隣の家との間を仕切る薄い板にはカーテンがかかっていて、家具はソファと小さなテーブルが一つあるだけ。 でも、ゴチャゴチャと装飾品がないので、シンプルで居心地が良い感じで好感がもてました。 足元は土のまま踏み固められているだけで、まるでデコボコのフローリングのようです。 マーガレット達は玄関で靴を脱いでいました。 日本人家庭で長く働いている経験からでしょうか?部屋の中を清潔に保つのに役立っている感じでした。
部屋にはもちろん台所らしいものもなく、小さな練炭が入り口にあって、隣人と共用しているようでした。 私たちは部屋の中でマーガレットが近くで買ってきたウガリ、牛すじと野菜のスープなどのランチをごちそうになってしまいました。 でも多すぎて食べきれずにいたら、冷蔵庫もないので食べ残したものはいつの間にか周囲に集まってきていた近所の子供達に、ホイホイとあげていました。 外国人の家族連れがカワンガレにやってきたのが相当珍しいのか、長男ハルの周囲に地元の子供たちがたくさん集まりました。 ハルは子供達に体中を触られながらも、普通にしゃべっていて、彼らの遊ぶペットボトルで作った車のおもちゃを見て、「ママ、僕もあれをつくりたい」と、真剣に見入ってました。
マーガレットの夫は足が悪く、働いていません。 私達が家庭訪問した時も、近所をぶらぶらしていて、いませんでした。 彼女の収入だけで子供5人を育てたのだと思いますが、子供たちはみんな性格の良い子ばかりです。 ルオの人の特徴ですが、みんな体格も良いです(笑)。 大変な暮らしの中、子供5人を立派に育てた彼女に、同じ母親として頭が下がりました。
お手伝いさんの1人、ベティ22才は今、妊娠8カ月。明るくて優しい性格の美人です。ちょうど1年前、我が家で働き始めたときは、自分の服を我が家の洗濯機でこっそり洗ったり、腸チフス(注)にかかって長期休んだり、と色々ありました。 でも、きれい好きでお片づけ上手、物を盗むこともないし、なにより子どもたちが彼女のことが大好きなので、今でも働いてもらっています。
じつは昨年の秋、急に無断欠勤し始めました。 不思議に思って電話したところ、妊娠を打ち明けられました。 働き始めたときは彼氏すらいなかったはずなのに、いつの間に…。 つい、親心から色々と無遠慮に尋ねたのですが、なんと、彼女は「彼の職業? 知らない」と言うので、ビックリ。
日本では考えられず、驚きと心配からもっと質問したかったのですが、彼女は「私は本気なの」と繰り返すばかりでした。 相手の職業も知らないのに大丈夫?…と夫と私は2人して気をもんで、延々と「大丈夫かな」「騙されているんじゃないかな」とか、アーでもないコーでもないと議論したほどでしたが、もちろん結局のところ、私たちにはどうすることもできません。
取りあえず、つわりがひどく、毎日来てもらうのは無理なので、毎週日曜日の午後だけ家に来て働いてもらうことにしました。彼女も収入が必要だろうし…。
ちなみに待ち遠しい出産予定日は4月10日(私の姉の誕生日と一緒だ!)。 ベティはつわりが始まり、病院に行って妊娠が分かってから、今まで病院に一度も健診に行っていないようです。 そのせいか、私が日本から持ってきた雑誌「たまごクラブ」の本で胎児の写真などを見ては、驚いて「Oh、マイ…」と口に出したり、ニコニコと目を細めたりしています。
子供たちは「お腹に赤ちゃんいるんだよね」とか毎週、ベティの膨らんできたお腹を見るのを楽しみにしています。
(注)腸チフス(Tyhoid)…衛生状態の良くない地域で多発する伝染病で、我が家のお手伝いさんも時々罹ります。
担任の先生によると、ハルは数字や英語も上手に書けて、負けず嫌いな所があるそうです。 他の子の意見に時々「ぼくはそう思わない」と、はっきり自分の意見を言うところが良い、と褒めてくれました。 ネネはデザインが得意で、他の小さな子らの面倒見が良いとのことでした。 わが子の良い面ばかり指摘されるので、最初は親馬鹿丸出しで、ニコニコと頬がほほ笑むのですが、途中で「ん? ちょっと待てよ。あの2人って、そこまで良い子かな?」と疑い、「我がままなところはない?」「他の子と喧嘩はしない?」と悪い点や改善すべき点などを何度も尋ね出す始末でした。
人生大変なはずなのに、何にでも前向きでポジティブ思考なケニア人に、裕福な国で暮らすのに何でも後ろ向きな日本人って、好対照かもしれませんね。
面談後、家に帰り、ハルに「きょう、先生がハルは勉強がすごく良くできて、本も上手に読めるって褒めてたよ」と言ってあげると、「頑張っているから、そう言うんだよ」と、意外なほどクールな反応。5歳児って大人…。
ネネに「きょう、先生にネネが幼稚園で良い子にしてるか聞いたよ」と言うと、突然、アベェー、アブゥー、ギャーとか意味不明な言葉を連発し始めて暴れていました。 たぶん照れ隠しだとは思うのですが、3歳児の反応は時々、親にも不可解…。
写真上はネネの担任、Mrs・モマニ。いつも弾けるように明るく、さすがのネネもちょっとタジタジ…。
写真下は面談の後に、ほっと一息、ティーとケニアのおやつマンダジです。ほんのり甘く、中が空洞のドーナッツです。
ケニアの人たちが毎日、好んで食べる代表格は「ウガリ」と「スクマ」でしょうか。 写真は野菜の「スクマ」です。キャベツ科で、日本では青汁に使われているケールと同様の植物です。 一束20円位で、地元の人はこれを小さく刻んで、トマトや紫タマネギなどと一緒に多めの油で炒めて、シンプルに塩味で整えます。
このスクマと一緒に食べるのが、メイズ(白トウモロコシ)の粉を熱湯に混ぜて練って作る「ウガリ」です。 沸騰したお湯にウガリの粉を入れていき、キメの粗い「おもち」のように仕上げます。見た目は鹿児島銘菓「軽羹(かるかん)」のようです。我が家の子供3人はみんな、このウガリとスクマが好きで、お手伝いさんらが昼食で食べている横に座って、おすそ分けしてもらったりしています。
ところで、我が家のお手伝いさんを含めてケニアの人たちが野菜を調理するとき、いつも不思議に思うことがあります。スクマでも、緑の葉の部分しか食べないのです。 日本人の主婦感覚だと、白い茎の部分も味噌和え、おひたしにすれば、おいしいのに…とか考えますが、ケニアの人たちはスクマが不作で値段が高騰している時でも、ばっさりと気前よく茎を切り落として捨ててしまいます。
ビニール袋でも、ウラ紙として十分使える紙でも、私が大切に保管しているそばで、彼女たちはパッパと何でも威勢良く捨てていきます。「これは捨てないでね。まだ使えるから」と何度も説明しているのですが…文化の違い、生活習慣の違いなのでしょうか? 一体、どっちが豊かな国の出身なの?と、こんなときは頭が混乱してしまいます。 日本の物差しだけでは理解できないことが、本当にたくさんあります。
ナイロビの日本大使館などによりますと、つい10日前も日本人などが住むナイロビ市内の、あるコンパウンドに7~8人の強盗が押し入ったそうです。警備員らに銃を突きつけ、地面に伏せさせ、彼らの制服を奪った後、警備員を装って、帰宅してきた居住者らの車を次々と襲い、金品を奪ったそうです。コンパウンド内の各部屋にはパニックボタン(注1)があり、押せば警備会社に助けを呼ぶことができるのですが、今回、ボタンを押すと、どの家が押したか犯人に分かってしまうので、報復が怖いからと誰も押さなかったんだそうです。
また、ナイロビの中心部(写真・右)でも今日、我が家と同じコンパウンド内に住んでいる中国人女性の車が狙われました・運転席側のドアの外で騒ぐ男に気を取られている間に、助手席の窓から別の男にバックなどすべてを盗まれたそうです。我が家の運転手のモリスさんがなぜか知っていて、教えてくれました。怪我がなかったのが幸いでした。
さらに、私のお友達の日本人女性も今日、自分の車のすぐ後ろで白昼堂々、銃を突きつけられて車が奪われるカージャックの瞬間を目撃したそうです。もしも犯人が一台前の彼女の車を狙っていたら、恐ろしいことになっていました・・・。
不運にもケニアで犯罪に遭ったら、(1)犯人に絶対抵抗しない (2)要求をすべてのみ、おとなしく金品を差し出す・・・のが鉄則で、そうすれば怪我はしないと、夫はいつも私に言い聞かせます。 そうは言っても、いざ強盗に囲まれた際、冷静に行動できるのか・・・もちろん不安でいっぱいです。
それに、運転手のモリスさんは、いつも多少のお金を持っているようにと忠告します。強盗に襲われた際、お金を持っていないと強盗らは逆上して何をするかわからないからだそうです。
注・1→我が家の寝室に付いているパニックボタンです。時々子供が間違って押してしまうと、すぐに銃を持った警備2人組が玄関先に飛んできます。「何かありましたか?」と尋ねるので、「多分、子供が間違って押したと思います」と、いつも謝っています。
モンバサで泊まったセレナリゾートホテルでも、子供らを集めて毎日ゲームをしたりして遊んでくれる専用のスタッフが何人もいました。 また、赤ちゃんの子守専用のお手伝いさんをお願いすることもできました。
もちろん、ナイロビの自宅から、普段のお手伝いさんを一緒に連れてくる人たちもいます。赤ちゃんや子供も慣れた人の方が安心するためで、そのため、ケニアでは、ホテル内に、お手伝いさん用の宿泊施設を別に設置しているホテルも結構あります。
レストランでも同様です。 たとえば中庭に砂場などの遊具施設があり、子供らを見てくれるスタッフがいるところが幾つかあります。子連れで外出しても、大人がゆっくりと楽しめる環境があるのは、なにより嬉しいことです。 特に我が家のように、小さな子供が3人もいますと、こういう環境は本当に助かります。3年前、ケニアに来るまで、東京では小さな子供と一緒に外出するのが大変でおっくうで、家にこもりがちだったなあ、と今更ながら思い出したりします。日本でもこういう環境が整ってくれると嬉しいのですが…。
船頭で初老のサリムさんは出発早々、こちらが尋ねてもいないのに「このダウに乗るのを怖がる観光客も多い。でも、これまで25年、何もトラブルはなかったし、一度も沈没したことないから大丈夫だよ」と自信満々に語るので、「え? みんなは乗らないものなのか」と逆に少し不安になりました(汗)。 モンバサの海はエメラルドグリーンの色に輝き、とてもきれいでしたが、すごく遠浅で、余りに浅すぎてダウが何度も座礁しそうに。 サリムさんは途中、大きなウニや、赤と灰色のウルトラマン模様のヒトデ(ちょっと日本では見なさそうな…)、タコの赤ちゃんなどを捕まえてくれ、子供たちは大喜び。夫は「醤油とワサビ~」と叫んでいました。
赤道直下のケニアの首都ナイロビは今、日本の季節と正反対で、夏真っ盛りです。ハル、ネネ2人が通うインターナショナル幼稚園では今日、運動会がありました。日本人のご夫妻が経営する「キューナ幼稚園」には、欧米や南米、アジアなど世界中の1歳半から6歳までの子どもたちが通っており、なんと、ケニアのキバキ大統領のお孫さんも、ネネの同級生だったりします。
運動会では輪っかをくぐったり、走ったり。午前中で終わる簡単なものなので、日本とは違い、お弁当の場所取りなどはありません。でも、やっぱり、どの国の親も全く同じだなあ、と感心します。みんなビデオとデジカメを両手に持ち、わが子の姿を熱心に撮ります。ゴールした後の子を抱き締め、大げさに褒めてあげたりもしています。障害のある子が頑張って走る姿には、みんな拍手して応援し、親も参加するレースでは、年甲斐もなく、みんな真剣そのもの。ちなみに夫も私も参加し、親子で楽しみましたが、徒競走でビリだったハルは「ママ、僕、ナンバー・ラストになって、ごめんね」と少し悔しそうに小声で言ってました。ネネは呑気さんなので、楽しんだのかどうか、よく分かりませんでしたけど。
と、ほのぼのした幼稚園ですが、恐ろしいことに、昨年、このキューナ幼稚園のすぐ近くで、なんと、ヒョウが出現し、番犬を2匹食い殺したことがあったそうです。 ヒョウは夜行性なので、日中、幼稚園に現れて子どもたちをパク…なんていう心配はないそうですが、首都のナイロビ市内でも猛獣が出没するとは、さすがにビックリ。 確かにケニアはサファリで有名ですが、日常生活でもサファリだなんて…
まあ、サルとかは我が家のあるコンパウンド敷地内の庭にもたまに出没しますし、野菜のマーケットには大きいヒヒもいたりしますし、夜はカエルの合唱とかでうるさいんですけど…。
明日から日曜日まで幼稚園は、Half term holiday です。 昨年暮れのクリスマスから休みがなかった夫も「夏」休みを取って、明日から家族でケニア南東部のモンバサへGo! です。
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
◎当ブログの画像に関する著作権は 『南色日和 ポレポレふっちんちケニア生活』に属します。
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私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・