2012年1月からインドネシアから横浜に本帰国して暮らしています。パパ、小4のハル10歳、小2のネネ8歳、ナナ6歳の5人家族です。
04年から07年まで過ごしたケニア・ナイロビ生活、08年から11年末ジャカルタ生活。
ポレポレ&ティダ・アパアパに生活しています。
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お知らせが遅れましたが、3年半にわたる夫の赴任が終わり、6月末に帰国しました。 もともと、永住する予定ではなかったので、当然、心の準備があったはずなのに、ケニアの不思議と居心地の良い雰囲気や、お世話になった人たちとお別れするのが寂しくて寂しくて仕方ありませんでした。
帰国前後はバタバタしていて、このブログを更新する余裕がありませんでした。でも今は、子供たちも日本で幼稚園に通い始め、やっと生活が落ち着き始めましたので、少しだけ書き残したナイロビの思い出話を記そうと思います。
最後まで心配したのは、若いお手伝いさんのシープローズの再就職先でした。 夫の後任の方が、もう1人のベテランお手伝いさんのマーガレットと, ドライバーのモリスは引き続き雇ってくれることになったので、一安心しましたが、問題はシープローズです。 後任の方は独身で、2人もお手伝いさんは必要なく、何とかシープローズの再雇用先を探さなくてはいけません。
ナイロビ在住の日本人の方々に声かけし、日本人会のメール網にも「お手伝いさんご紹介します」とのメールを出しましたが、なかなか、うまく行きません。 大体、すでに1人か2人雇っている人が多くて、なかなか「空き」が見つかりません。
「大丈夫よ、私達があなたの雇い先を見つけて、きちんと引き継ぐから心配しないで」と彼女に言ってきた手前、「見つからなかったわ。ごめんね」ではすみません。何としても見つけなくては…。
ある日、ケニア西部の地方に在住している日本人の方から、お手伝いさんを探していると連絡が入り、大喜びしました。 ところが、肝心のシープローズが「ナイロビを離れたくない」と断るので、もうガッカリです。 夫は「最初はどこでも行くって言ってたのに…」と少し不満な様子でしたが、両親を早くに失った彼女は、兄や弟と離れて暮らしたくなかったのかもしれません。
こうなったら日本人家庭でなくてもいいので何とか見つけようと、ハルとネネが通う幼稚園の外国人ママたちにも声をかけたりし始めましたが、子守専門のお手伝いさんだと難しいものがあります。
ナイロビのお手伝いさんの中には何年も外国人家庭を渡り歩いて、外国人好みの料理をつくれる人も多いので、多くの人が「料理も多少できて、子守もできるお手伝いさん」を希望していました。
なかなかうまく行かず、焦りがでてきた時、日本人のあるご家庭の奥さんから声をかけてもらい、面接してもらえることになりました。
そのご家庭には3歳になる女の子が1人いて、他に年配のお手伝いさんが1人いるのですが、若くて子供専用のお手伝いさんをちょうど探していたというのでした。 日本人に合う料理をまだ勉強していないシープローズには、まさにうってつけの条件です!
面接の結果、シープローズはそのお宅で雇っていただけることになりました。
我が家の引越し作業を手伝いながらも、自分だけ再就職先がまだ決まらない間、浮かない表情だった彼女も次の仕事先が決まってからは、ほっと落ち着いた様子でした。 もっと感情を表に出してもいいのにと思うのですが、シープローズはいつものように静かに「Thank you」と一言、言うだけでした。 まだ若いのに、どこか、人生をあきらめたところがあるような寂しさがあるのでした。
それでも、とにかく、ほっとしました。 シープローズ本人だけでなく、もう1人のお手伝いさんのマーガレット、ドライバーのモリスも喜んでいました。 このお引越しで最も大きな懸案事項が片付いた瞬間でした。
帰国前後はバタバタしていて、このブログを更新する余裕がありませんでした。でも今は、子供たちも日本で幼稚園に通い始め、やっと生活が落ち着き始めましたので、少しだけ書き残したナイロビの思い出話を記そうと思います。
最後まで心配したのは、若いお手伝いさんのシープローズの再就職先でした。 夫の後任の方が、もう1人のベテランお手伝いさんのマーガレットと, ドライバーのモリスは引き続き雇ってくれることになったので、一安心しましたが、問題はシープローズです。 後任の方は独身で、2人もお手伝いさんは必要なく、何とかシープローズの再雇用先を探さなくてはいけません。
ナイロビ在住の日本人の方々に声かけし、日本人会のメール網にも「お手伝いさんご紹介します」とのメールを出しましたが、なかなか、うまく行きません。 大体、すでに1人か2人雇っている人が多くて、なかなか「空き」が見つかりません。
「大丈夫よ、私達があなたの雇い先を見つけて、きちんと引き継ぐから心配しないで」と彼女に言ってきた手前、「見つからなかったわ。ごめんね」ではすみません。何としても見つけなくては…。
ある日、ケニア西部の地方に在住している日本人の方から、お手伝いさんを探していると連絡が入り、大喜びしました。 ところが、肝心のシープローズが「ナイロビを離れたくない」と断るので、もうガッカリです。 夫は「最初はどこでも行くって言ってたのに…」と少し不満な様子でしたが、両親を早くに失った彼女は、兄や弟と離れて暮らしたくなかったのかもしれません。
こうなったら日本人家庭でなくてもいいので何とか見つけようと、ハルとネネが通う幼稚園の外国人ママたちにも声をかけたりし始めましたが、子守専門のお手伝いさんだと難しいものがあります。
ナイロビのお手伝いさんの中には何年も外国人家庭を渡り歩いて、外国人好みの料理をつくれる人も多いので、多くの人が「料理も多少できて、子守もできるお手伝いさん」を希望していました。
なかなかうまく行かず、焦りがでてきた時、日本人のあるご家庭の奥さんから声をかけてもらい、面接してもらえることになりました。
そのご家庭には3歳になる女の子が1人いて、他に年配のお手伝いさんが1人いるのですが、若くて子供専用のお手伝いさんをちょうど探していたというのでした。 日本人に合う料理をまだ勉強していないシープローズには、まさにうってつけの条件です!
面接の結果、シープローズはそのお宅で雇っていただけることになりました。
我が家の引越し作業を手伝いながらも、自分だけ再就職先がまだ決まらない間、浮かない表情だった彼女も次の仕事先が決まってからは、ほっと落ち着いた様子でした。 もっと感情を表に出してもいいのにと思うのですが、シープローズはいつものように静かに「Thank you」と一言、言うだけでした。 まだ若いのに、どこか、人生をあきらめたところがあるような寂しさがあるのでした。
それでも、とにかく、ほっとしました。 シープローズ本人だけでなく、もう1人のお手伝いさんのマーガレット、ドライバーのモリスも喜んでいました。 このお引越しで最も大きな懸案事項が片付いた瞬間でした。
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ぷろふぃーる
HN:
ふっちんち
性別:
女性
自己紹介:
☆ 2012年1月3日 ☆
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
◎当ブログの画像に関する著作権は 『南色日和 ポレポレふっちんちケニア生活』に属します。
忍者ブログ無料版は広告が入るようになりました(泣)
私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・
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