2012年1月からインドネシアから横浜に本帰国して暮らしています。パパ、小4のハル10歳、小2のネネ8歳、ナナ6歳の5人家族です。
04年から07年まで過ごしたケニア・ナイロビ生活、08年から11年末ジャカルタ生活。
ポレポレ&ティダ・アパアパに生活しています。
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6月末、ケニアを出発する当日まで、子供たちは幼稚園に通っていました。 インターナショナル幼稚園の「キューナ幼稚園」は、長男ハルと長女ネネにとって、初めての幼稚園でした。 3年前、登園初めには、言葉の壁にぶつかって悩みました。
親がどうすることもできず、子供たち自身がそれを乗り越えて自分の居場所を確立していった、最も思い出深い場所です。
通園最後の日、朝のアセンブリー(礼拝)で、ハルとネネに対し、クラスのお友達がメッセージを書いたプレゼントがありました。 園長先生からは「ハルとネネは日本という国に帰るんだよ」という話があり、園児たちは真面目な顔で話を聞いていました。 ハルは「日本に帰ることは楽しみだ」と英語でみんなの前で堂々と話していました。
英国式のシステムなので、今年の9月からハルのクラスは小学生になります。 そのため、残り一週間ほどで卒園式を迎える6月末、ハルやネネは、一足先に、みんなとお別れとなった訳です。
たった2人だけの卒園式のような雰囲気の中、私は3年前に「幼稚園に行きたくない」と大泣きして暴れるハルを抱えて幼稚園まで何度も来たことや、園長先生に言葉の問題などで何度も相談したり、激励してもらったりしたことを思い出して、お別れ会の様子をビデオで撮りながら、自然と涙が流れていました。
最後のランチをすませ、ハルとネネは担任のミセス・ンジャウとミセス・モマニに大きなハグをしてもらい、お別れしました。
ハルのお友達のコンゴ人のサミーのお母さんによると、サミーは「ハルヒコがいなくなったら、寂しくて死んじゃうよー」と地団駄を踏んで悔しそうにしていたそうです。 有り難うね、サミー。
頻繁にお泊まりをし合い、大の仲良しだったオーストリア人のイマヌエルからは「ハルヒコ、最後の夜はぜったい僕のうちに泊まりにきて」とお誘いもありました。イマヌエル、有り難うね。
ハル、ネネの2人は日本に帰国した今でも、キューナ幼稚園の思い出をよく話します。
ハルは「僕がフットボールをしてる時、(幼稚園のスタッフの)ミスター・ムイッティーが、Hi !Haru って呼ぶから、ミスしたんだよ~」などと昔の思い出を悔しそうに今でも語ったりします。
ネネは「(クラスの問題児?だった)ダンテはお利口にしてるかなあ?」とか、おませなことを言ってみたり、お友達のナディアのドレスはすごく可愛かったなあ、とか言ってみたり。 突然、「ケニアの幼稚園に行きたいよ」とも言い出したりします。
ケニアへ行ったとき、3才だったハルは今、6歳に。 まだ、1才2ヶ月でハイハイしていたネネは4歳に。 そして生まれていなかったナナは2才になりました。
違う言葉や、違う文化・習慣の集団に溶け込むまで、彼らなりに、本当に大きな葛藤があったことは違いありません。 よく日本では「子供はすぐ外国の環境に順応する」とかよく言われますが、とても、そうは思えません。
子供だって苦労がないはずがありません。 ケニアでの生活で、子供たちは人生のスタート地点で早くも何か1つの山を乗り越えてくれたのかもしれません。
親がどうすることもできず、子供たち自身がそれを乗り越えて自分の居場所を確立していった、最も思い出深い場所です。
通園最後の日、朝のアセンブリー(礼拝)で、ハルとネネに対し、クラスのお友達がメッセージを書いたプレゼントがありました。 園長先生からは「ハルとネネは日本という国に帰るんだよ」という話があり、園児たちは真面目な顔で話を聞いていました。 ハルは「日本に帰ることは楽しみだ」と英語でみんなの前で堂々と話していました。
英国式のシステムなので、今年の9月からハルのクラスは小学生になります。 そのため、残り一週間ほどで卒園式を迎える6月末、ハルやネネは、一足先に、みんなとお別れとなった訳です。
たった2人だけの卒園式のような雰囲気の中、私は3年前に「幼稚園に行きたくない」と大泣きして暴れるハルを抱えて幼稚園まで何度も来たことや、園長先生に言葉の問題などで何度も相談したり、激励してもらったりしたことを思い出して、お別れ会の様子をビデオで撮りながら、自然と涙が流れていました。
最後のランチをすませ、ハルとネネは担任のミセス・ンジャウとミセス・モマニに大きなハグをしてもらい、お別れしました。
ハルのお友達のコンゴ人のサミーのお母さんによると、サミーは「ハルヒコがいなくなったら、寂しくて死んじゃうよー」と地団駄を踏んで悔しそうにしていたそうです。 有り難うね、サミー。
頻繁にお泊まりをし合い、大の仲良しだったオーストリア人のイマヌエルからは「ハルヒコ、最後の夜はぜったい僕のうちに泊まりにきて」とお誘いもありました。イマヌエル、有り難うね。
ハル、ネネの2人は日本に帰国した今でも、キューナ幼稚園の思い出をよく話します。
ハルは「僕がフットボールをしてる時、(幼稚園のスタッフの)ミスター・ムイッティーが、Hi !Haru って呼ぶから、ミスしたんだよ~」などと昔の思い出を悔しそうに今でも語ったりします。
ネネは「(クラスの問題児?だった)ダンテはお利口にしてるかなあ?」とか、おませなことを言ってみたり、お友達のナディアのドレスはすごく可愛かったなあ、とか言ってみたり。 突然、「ケニアの幼稚園に行きたいよ」とも言い出したりします。
ケニアへ行ったとき、3才だったハルは今、6歳に。 まだ、1才2ヶ月でハイハイしていたネネは4歳に。 そして生まれていなかったナナは2才になりました。
違う言葉や、違う文化・習慣の集団に溶け込むまで、彼らなりに、本当に大きな葛藤があったことは違いありません。 よく日本では「子供はすぐ外国の環境に順応する」とかよく言われますが、とても、そうは思えません。
子供だって苦労がないはずがありません。 ケニアでの生活で、子供たちは人生のスタート地点で早くも何か1つの山を乗り越えてくれたのかもしれません。
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ぷろふぃーる
HN:
ふっちんち
性別:
女性
自己紹介:
☆ 2012年1月3日 ☆
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
◎当ブログの画像に関する著作権は 『南色日和 ポレポレふっちんちケニア生活』に属します。
忍者ブログ無料版は広告が入るようになりました(泣)
私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・
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