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音楽スクールに通うとなると、車で、しかも私が同行しないといけなくて大変なので、自宅に来てくれる先生を探しました。ネットで見つけた先生はフレンドリーなインドネシア人の男性、ヘンリー先生です。メールでコンタクトして面接をしました。礼儀正しく、英語も話せるのでお願いすることにしました。夫も私も楽器のことは何も分からないので、購入する時には先生と楽器屋さんで待ち合わせをして一緒に選んでもらいました。余談ですが、インドネシアでは少数派の「クリスチャン」なので、おやつにポークハム入りのサンドイッチを出しても大丈夫です。
週1回、1時間のレッスン。既に8回のレッスンが終わりました。
A、B、C、D、E、F、Am(Aマイナー)、Bm、Dm、Em、Fmコードの指のポジションは覚えましたが、リズムよく次のコードに指を移すこととクリアな音を出すのに苦労しています。初めの頃、私もこっそりマスターしたいなと思っていましたが、基礎のコードを覚える苦労が分かりさっさと諦めました。驚くことに、子供ってあっけなくマスターするんです。
オーストラリア人、アラブ人の生徒を持つヘンリー先生にとって、日本人の生徒はハルが初めてなんだそうです。「日本人は頭がいいからね、期待してるよ、ハル」とお世辞を言っていたヘンリー先生を失望させないように、そして、いつの日か憧れのビートルズが弾けるようにがんばりましょう。
小学3年生の男の子って…と最近、ため息ばかりです。 長男ハルは、私が厳しく叱っても、全く真面目に話を聞かなくなりました。
毎日毎日、同じことを繰り返し言っているのに。 特に夫が出張中のときは、私の声だけ『限定』で耳のふたがパタンと閉まるようです。
例えば「クワガタに餌をあげたの?」、「明日の用意はしたの?」、「学校からの手紙は?宿題は?」、「TVの音が大きい!」、「明日の朝も早いんだから、歯磨きして寝なさ~い」などなど。
こうして書いてみると、大したことないことばかりかなって自分でも思えてきました(笑)。でも、毎日毎日、次の行動を言わないと全く動こうとしない態度に、ママはカリカリしてしまうんです!
ある日、「もしパパだったら、今すぐ出て行け~って言うよ!!」とトドメをさしたら、「分かったよぅっ!!」と怒って夜9時、家を飛び出してしまいました。初めての家出です。
外と言っても、集合住宅(コンパウンド)のゲートにはセキュリティがいるので、敷地内のどこかにいるはず。心配することもないなあ、戻ってくるまで、まあ待っとこ、とテレビを見てました。
ところが、もしも、セキュリティーの目を盗んでゲートから抜け出して、私を心配させようと企んだりしたら・・・などと、色んな想像が頭に浮かんできて、不安になってきました。
すぐに帰ってくると信じつつ、出張中の夫に電話をしてみました。すると、夫は「自分も最初の家出は小学校3年生だったなぁ。ま、30分もしたら戻ってくるよ」と全く心配してくれません。
果たしてハルはちょうど30分して、カチャンとドアを開けて戻ってきました。そして黙っている私の横で一緒にテレビをちょこっと見てから、ごろんと寝てしまいました(写真)。
翌朝「どこに行ってたの?」と聞いてみると、「(敷地内で)滑り台してた」と言いました。30分の家出で彼は一体何を考えたのか? その後も相変わらず、態度は変わらず、私の小言は続いてます。
この繰り返しで、顔に怒り皺がくっきり出来てはたまったもんじゃありませ~ん。
運転手の車両事故、さらにお手伝いさんの犯罪現場目撃という最悪な理由で二人に辞めてもらい、しばらく一人で家事をしてみましたが、子供達の時間差帰宅と時間の読めない交通事情、さらに車は必須なので、なんとしても早く、しかも信頼できるドライバーさんとお手伝いさんを探さないと、生活がうまく回りません。
日本人の友人達に本帰国予定のご家庭がないか情報を聞いたり、日本食スーパーで紹介状を見たりして探しました。お手伝いさんの勤務スタイルは「泊り込み」と「通い」の2パターンがあります。今回、我が家の希望する「通い」のお手伝いさん2名を面接しました。初めに面接をした美人顔のAさんは、以前に働いていた所の給与明細を持ってきました。日本企業の会社支払いだったようで、お給料が我が家が予定していた額の2倍近くもあり、驚いてしまいました。こちらの提示した条件に明らかに表情が曇った彼女でしたが、話しているうちに緊張がほぐれた笑顔になり、それでもやってみると言ってくれました。でも、住まいがものすごく遠くて大変なので、長続きしないんじゃないかなと思ってお断りしました。
もう一人は我が家近くの単身者のお宅で働いている、現役お手伝いさんです。そこで「住み込み」で働いているので通勤はものすごく便利です。何より、「暇になる昼間に、かけもちで働きたい」というやる気に惚れ込んだので、お願いすることにしました。
月曜~金曜の朝10時から子供達が戻ってくる夕方4時まで、部屋の掃除、洗濯、アイロンがけ、夕食を作って帰ります。日本食も丁寧に作ります。常に手抜きを心がけてる私の料理より美味しいくらいです。たまに豚肉に触れることさえ嫌がる人もいるムスリム(イスラム教徒)ですが、彼女は豚肉料理も作ります。ただ、味見だけは出来ないので「Mom,tolong coba(ママ、味見してみて)」とスプーンを持ってきてくれます。
ムジさん(24才、ジャワトゥンガー出身)
「お金を貯めてもっと勉強したいの。親は早く結婚しなさいっていうけど・・・」
恥ずかしそうにスローに話してくれました。真面目な彼女が幸せになって欲しいと心から思います。これからどうぞよろしくね。
(写真下)長女ネネ(小1)、次女ナナ(4才)と一緒に甘~いケニアンティーを作ってもらいました。もうすっかり仲良しです。
ちなみに、運転手さんは夫の友人に紹介頂き、信頼できる方に決まりました。インドネシア語の発音や言い回しが違うと、すぐ訂正してくれるので、車内はインドネシア語個人レッスン状態です。(苦笑)
ここでのお目当ては、「ぱん屋」のマヨネーズチーズパンと地下にあるローカルフードをお持ち帰りすることです。
今日の私のランチ↓ 「NASI BALI」(約180円)とデザート「KLEPON」クレポン(約27円)
バナナの皮で上手に包んだインドネシア式お弁当(ナシブングス)。上におかず、下に白ご飯の二段弁当(写真右)になっています。
小さいながらも、おかずは充実していて、卵、エビ、テンペ、魚のすり身、ピクルスなどなどです。
デザートのクレポンは子供達が大好きなので、おやつにとっておきましょう・・・。中に黒砂糖の餡が入っていて、周りにココナッツがまぶしてある餅菓子です。
1時半、次女ナナがスクールバスで日本人学校幼稚部から戻ってきました。
ぐっすり眠ったままのナナを、添乗員さん(チャプロンさん)から引き受けて、そのままソファーに搬送。まだ、ぐっすり寝ています。(笑)
バックの中から、子供たちが「幸せの実」と呼んでいる、つるつるの真っ赤な実がいっぱい出てきました。せっせと集めてるナナの姿が目に浮かびます。今日もいっぱい遊んでお疲れ様でした。私も疲れましたぁ~~。
長女ネネ(小1)はリレーの選手で頑張りました。鈍足の長男ハル(小3)に比べてネネは颯爽とした走りっぷりなので、私も応援に熱がこもり、楽しませてくれました。ハルも徒競争80mでど根性を出して1位になりました。おめでとうー!
爽やかな体育祭になるはずでしたが、体育祭当日の朝、なんとハルの白目が真っ赤になっていました。学校で結膜炎が流行ってるという話は聞いていたのですが、まさか、あなた、こんな日に!ガーゼで目を覆って学校に行き、競技には出場させてもらいましたが、観戦は保護者席でするという寂しいことになりました。体育祭が終わり、ハルとネネが戻ってきました。すると、えっネネの目も赤いじゃない!次の日の朝、私がキッチンにいて、次女ナナ(4才)が起きてきました。「ママお早う。ねぇママ、目が赤いよ」え~!「ナナもちょっとここ痛いの」慌てて見てみると少~しピンクになっていました。結局4人全員が流行性結膜炎(はやり目)にかかってしまいました。レンパタ島に出張中の夫は今回だけは難を逃れ、残る結膜炎家族はしばらく自宅謹慎です。結膜炎になったこと、暫く外出がままならないことなど散々ですが、何よりも辛いのが、ジャカルタ市内の病院で処方してもらった、点眼液「CENDO XITROL」をさすことです。ものすご~~く痛くて痛くて、例えるなら虫さされ用「キンカン」を目に入れてる感じです!掻きこわした虫刺され跡にキンカン塗った時以上の痛さです。無数の針がチクチクと刺さり、ドンパチやってる感じです。
椅子を壊さんばかりの力で突っ張って痛みをこらえるハルを見て、出産時の陣痛が思い出されました。こんなに痛い目薬なのに、軽症のナナは「ひゃ~びっくりした」と言うだけで痛がりません。やっぱりウィルスに効いてるのか!幸いナナは一日でよくなりました。 残り3人は驚異的に痛い目薬生活が続きます。目薬を止めたい、でも悪化するわけにはいかない。目薬XITROLとウィルスらの戦い、出来る事ならよそ(目の中以外)でやって欲しいです・・・。
夫と車のダブル「事故」で、心身共に疲れはてた気分でした。気分を盛り上げようとマッサージに出かけたり、チョコレートを馬鹿食いしたりしても癒されず、結局、末っ子のナナ(4才)の天真爛漫ぶりを見てるのが一番癒されました。寝ても覚めても、すっきりしない毎日でした。
そんな時、まだまだ不運は重なるものです。こんどは第3の「事故」ではなくて、「事件」が起きてしまいました。運転手とお別れした二日後のお昼の出来事です。
朝から本を読んだりして過ごし、ナナが幼稚園から戻る時間になったので、お迎えの為に外に出ました。青空を見上げたり、木々の緑を見たりして、やっぱり、きれいな自然は和むねぇ、と思ったのもほんの一瞬でした。ベランダで洗濯物を干していたお手伝いさんが部屋の中にすうっと入る扉の音が聞こえました。
今思えば本当に不思議なのですが、その時、なんとなく嫌な予感がしたのです。ナナのスクールバスはまだ来てなかったので、足音を立てずに家にそっと戻ってみることにしました。
ドアをそおっと開けて、家にすっと入ります。玄関近くにあるカウンターチェアーそばに、お手伝いさんが背中を向けて立っていました。さらに私が近づくと、ものすごく驚いた顔でこちらを見ました。彼女は私のバックの中に手を入れて探っていたのです。あまりのショックで、彼女の目を見つめて私が動けないでいると、あわてた様子で言い訳をし出しました。でも、完全に現行犯で誤魔化しようのない状況なので、言い訳も聞いてるのが虚しくなりました。
実は「もしかして、お金取ってる?」と思うことが以前にも一度だけありました。気付いてるのよ、というサインを何気なく出したり、金庫も購入したりして用心していました。それでもケニア時代の経験から「あれこれ疑って疲れるよりも、できるだけ信じてあげたい。騙されたら、それも仕方ない」と思って1年半がたっていました。彼女には5月分の給与だけ渡して辞めてもらいました。しばらくは自分の至らなさを反省しつつ、裏切られた気持ちでいっぱいでした。バックを探る彼女の様子がまぶたに焼きついていて悲しくなりましたが、これらの災難はよりよいこれからの生活の分岐点だったんだと考えようと思います。
運転手が去り、お手伝いさんも去り、とうとう振り出しに戻った気分です。約2か月のバンコク出張から戻ってきた夫の頭の傷はまだ痛々しいですが・・・。
このふた月、我が家は本当に災難つづきでした。
4月初めには夫が怪我をしました。春休みに子どもと日本に一時帰国する少し前から隣国タイの首都バンコクでは大規模なデモ騒動があり、夫は長期出張にでかけていました。
4月初め、夫はバンコクで暴動に巻き込まれて、デモ隊の投石が頭に当たり、救急病院で4針を縫う怪我をしました。
夫が負傷した翌日にはロイター通信の日本人カメラマン村本さんが銃で撃たれて亡くなられました。夫は前日の負傷のため、その日は現場に行きませんでした。もし行っていたら自分も危なかったかも、と夫が後で漏らしていました。
5月初めには車の事故もありました。
スーパーの駐車場で、運転手が前の車にうっかり追突。修理は3週間もかかりました。車社会のジャカルタですので、私は外出にも困る日々でした。車がない間、同じタウンハウス内に住む奥さんの車に同乗させてもらったりして大変お世話になりました。
ジャカルタで車の事故はこれが二度目。一度目もそうだったのですが、運転手は事故をすると「インシュランス、インシュランス(保険・保険)」と言うだけ。まるで「保険だから修理はタダだよ」と聞こえるので、事故自体よりも、その態度に気分が悪くなります。
あまりにケアレスなので、辞めてもらうことにしました。5月は事故のせいで2日間しか働きませんでしたが、5月分の給与まるまると退職金として別に1か月分を支払ってお別れしました。こちらとしては割合よい条件で辞めてもらったつもりでしたが、それでも、運転手は「両親が病気なのでお金を追加してほしい」とお願いしてきました。ダメ元精神かもしれませんが、さすがにお断りしました。
車は修理から戻ってきましたが、運転手探しは続きます・・・。困ったなー。(災難つづき・後編につづく)
4月12日 インドネシアジャカルタ日本人学校(JJS)の入学式がありました。中学一年生59人、小学一年生108人の入学式です。
我が家の長女ネネも小学一年生になりました。
日本のお友達から2年生まで使用しただけという、赤いランドセルを譲っていただき、日本から大切に持ってきました。意外かも知れませんが、約8割の子供達がランドセル派なのです。海外にいるからこそ、日本ならではのスタイルを大事にしたいという親御さんが多いのかもしれません。
ジャカルタ中心部から遠く南に位置するJJSは、「世界一」と呼ばれるほどのひどい渋滞と熱帯の気候を考慮して、朝7時40分の始業です。毎朝、子供達は朝6時10分のスクールバスで通学してます。子供たちが起床するのは5時半、お弁当持参なので、私は5時に起床しています。中には朝4時に起床するお母さん方もいらっしゃるらしく、お母さん方は皆さん頑張ってらっしゃるので、私だけが不平を言うわけにもいかず、なんとかやっています(笑)。そんな早起きとお弁当作りに今でも苦しんでる平日ですが、ママ友達の知恵を拝借して、最近ではおかずをホイルカップに小分けて冷凍しておき、そのままホイホイと詰めるようにしてからは、少しだけ楽になってきました。それでも、毎週金曜日になると、「は~、やっと一週間終わった~」とホっとするの繰り返しです。
入学式当日、日本人学校正面校舎の入口にて
通学一日目。
3年生になった長男ハルと一緒にバス乗り場まで行きます。
小柄なハルとネネ、ちょっと双子みたいです・・・。
一年生になり、お兄ちゃんとイスを並べて一緒に宿題をしています。競って大きな声で音読をしたりするので、全然聞きとれませんが(苦笑)。
そして、次女ナナも幼稚部に新入園しました。憧れの通園バスに乗れてとても誇らし気で、毎朝にやにやしています。「日本人の幼稚園はみんな優しいね。英語人の幼稚園には悪い子もいたけどねー」と生意気にインターナショナル幼稚園と比較していました。
ネネから「チャプロンさん(添乗員さん)にちゃんとおはよう言ってる?」と聞かれて「えー英語人だからスラマットパギでしょ~」と言ってました。すると、ネネから「チャプロンさんはインドネシア人なの、英語人じゃないんだよー」と注意されてました。
(英語人とは、ナナの造語で、外国語を話す人を指します・・・)
インターナショナル幼稚園では英語で過ごし、自宅ではインドネシア人のお手伝いさんや運転手さんとインドネシア語で片言話し、使い分けていたナナですが、日本人以外すべてが英語人という認識だったことに、ちょっと笑えました。今では、バスに乗る時に運転手さんとチャプロンさんに「スラマットパギー」、お友達に「おはよう」と声をかけて元気に通っています。
家に戻ると、「日本語の歌を覚えてきたー」と、手遊び歌や鯉のぼりの歌を振り付きで披露しています。インターナショナル幼稚園でもいつも楽しそうな娘でしたが、ジャカルタ日本人学校幼稚部(JJS・TK)に入園して、小さなつぼみから「ポッ」とかわいい花が咲いたようで、生き生きとしています。
やっぱり日本人学校に入園して良かったね・・・と家族で目を細めています。
(写真左・・・JJSに鎮座する学問の神様ガネーシャと新入園のナナ)
子供達それぞれの新生活がスタートしました。今年度もたくさんのお友達とへとへとになるまでいっぱい遊ぼーう!
そのニコラスのお手伝いさんはアフリカ系の女性です。ジャカルタでアフリカ系の人を見かけるのは珍しいので、ずっと気になっていました。先日、勇気を出して「どこの国の人」ですか?と声をかけてみました。
そうすると、彼女は「アフリカです」と答えます。「アフリカのどこ?」とまた尋ねると、「ケニアです」と恥ずかしげに言うのです!私はものすごく嬉しくなって、「私達ナイロビに住んでいたのよ、ねえ、あなたはルオ?ルヒア?」と部族も聞いてみました。彼女は急に人懐っこい笑顔になって「私はルオよ」と言い「アハハハハ~」と急に弾けたように笑い出しました。
懐かしいケニア人、しかも我が家がケニアに住んでいた頃のお手伝いさん3人ともが同じルオ族でした。ニコラスのお手伝いさんのガートルートは5年前にナイロビに滞在していたニコラス家と共に、ナイロビからアメリカ、そしてジャカルタまで来たと言うのです。メイドと共に異動する家庭があるという話は、聞いたことがありますが、まさかジャカルタで会えるとは・・・。
ガートルートに「ナナもルオ族のメイドに子守してもらっていたの。子守唄も覚えているはずよ」と言うと、ナナを抱っこして「♪ラーラー、トト ラーラ、ラーラー、トト ラーラー、ママアナクージャー、ラーラー♪」と歌ってくれました。懐かしくて、私も一緒に歌いました。
「ニコラスは私がいないとだめなの・・・赤ちゃんの頃から一緒だから」と愛おしくニコラスを見つめるガートルートを見て、ケニアに住んでいた頃のお手伝いさん、マーガレット、シープローズ、ベティが思い出されました。ケニア人のお手伝いさんはインドネシアのお手伝いさんと全く比較にならない貧しい生活の中にあっても、家族同然のように愛着を持って働いてくれるので、こちらもそれに応えようと彼らの幸せを心から願っていました。インドネシア人のお手伝いさんやドライバーさんも子供に優しいのですが、私には彼らにどこか都会的なクールさを感じるのです。
今ではガートルートを見つけると「ジャンボ!ハバリガーニー?」「ムズリサーナ」と挨拶を交わしています。
「ケニアに里帰りしたいわ」と話したガートルート、実は私も同じ想いです。
残すは卒園式です。今、幼稚園では卒園式で歌う歌の練習をしているそうです。先日からネネと、ネネの真似ばかりしている妹ナナ(4才)が取りつかれたように口ずさんでいる歌がとても感動的で、じ~んと胸が熱くなってしまいました。
この春はネネが小学一年生、ナナがJJSに入園します。母は忙しくて嫌だなと、嘆いていましたが、子供たちにとっては希望にあふれた春なんですね。歌を聴きながら、ちゃんと家族でお祝いしてあげなくては・・・と思いました。
上の絵をクリックしていただけたら、「さよならジャカルタの幼稚園」 の歌のムービーにジャンプします。
「ドゥクドゥクドゥク」とナナが呼んでいるのは、バジャイ。バイクを改造した3人乗りのタクシーです。エンジンの音がそう聞こえるからみたいです。
信号待ちの我が家の車にぴったりと横付けしたバジャイの運転手さん。ニッコリとナナに挨拶してくれました。ダダ~!(バイバイ)
いつも渋滞する高架橋下のスプレー落書き。頑固者のナナの弱点はこの落書きです。いつも「怖~い」と泣きべそしてます(笑)。雨が降ると、こういったトンネルはものすごい数のバイクが雨宿りをするので、ますます渋滞がひどくなります・・・。
米国発のSNS(ソーシャルネットワークサービス)「facebook」がインドネシアでも爆発的に人気だと言われています。私もインドネシア人のママ友達に招待してもらいました。先日、友人の日記に「FT Island」の紹介がありました。
「Raining」is their 3rd Japanese single.・・・(略)
私はこのグループを知らなかったので、さっそくyoutubeでお勧めの曲を聞いてみました。
10代の男性5人のユニット、曲は日本語で歌われていて、初め日本人かな?と思いますが、south koreaのグループで、驚くほどきれいな日本語の発音です。
久しぶりに若々しくて透明感のある歌声に聞き惚れてしまいました。
FTislandに夢中なこの友人はインドネシア人で、ご主人は生粋の中国人、Pure Chineseです。(インドネシアに古くから住んでいる華僑と呼ばれる中国系のインドネシア人でないということです)そして、夢中になっている音楽はSouth Koreanが日本語で歌う曲。
なんだか、一曲の音楽からやんわりと東アジアの融合を見れたような気がしました。
雨季のインドネシアにぴったりの曲ですね・・・。
私は雨季のジャカルタで大江千里さんの名曲「RAIN」を聴いています。
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
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私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・