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意外なことに、ナイロビでは欧州のブランド品のセカンドハンド(古着)の服や靴などが破格の安値で買えます。アフリカ最大のスラム『キベラスラム』に隣接する一角にある市場トイマーケットは地元で知る人ぞ知る穴場なのです。売られている品物が余りに安すぎるので、たぶん、欧州各国から送られてくる支援物資だろうと疑っています。取り締め黒幕は誰なのか、怖くて確かめられませんが、元はタダの支援物資とみられる品がここでは公然と地元の人々に売られています。
私はこのマーケットの大ファンで、地元の人々にまじって、子供の服から自分の服や靴まで、せっせと買っています。 値段は服が日本円で10円ほどから。 高いものだと500円近くする「高級品」もありますが、もっぱら私は安物ねらいです。 青空の中、服が積み上げられたコーナーがたくさんあり、その山を掘って好みの物に出会えた時のうれしさは、日ごろのストレス解消には最高! 時にはローラアシュレイやリバティ、ラルフローレンやDIESELなどのブランド品も見つかりますが、地元のママたちはそういうブランド名を知らないし、好みも全然違うので、まったく取り合いになりません。
でも、ナイロビでも治安が悪い地域と言われているので、自分で決めているルールがあります。(1)絶対1人で行かない(2)携帯はバイブレーション着信にする(3)アクセサリー類はすべて家に置いていく(4)買い物は手早く、長居は無用(5)小銭をたくさん用意(6)バッグは斜め掛け…などなどです。
そんなに用心するぐらいなら、行くなよ、と、つっこまれそうですが、それでも毎週、お友達と、せっせと通っています。写真の子供3人が着ているのも、もちろんトイマーケットで買いました。
ナイロビの住環境は素晴らしいです。国連や外国大使館の多い東アフリカの中心都市だからか、外国人用の住宅がかなりあります。日本人も含め多くの外国人が、広い庭のある一軒家や広い敷地内のフラット(アパート)に住んでいます。 問題は治安です。我が家のあるフラットでは、門は二重で、訪問者は必ず止められて身元を確認されます。お手伝いさんらも仕事の後、門を出るときに必ずバックの中身をチェックされるほど。敷地の周囲には高い塀があり、塀の上には電気バリアもあります。 夜間、警備員と犬が敷地内をぐるぐる歩き回っていますし、寝室にはパニックボタン(緊急用呼び出しベル)があり、いつでも警備員を呼べるようになっています。 それでも、2年前には強盗が3度も入りました(どうも警備員が手引してたらしい…)。また、敷地のすぐ外で強盗と警察の撃ち合いがあり、流れ弾が我が家の下の階の部屋に飛び込んできたこともありました。
そうは言っても、普段は平和そのもの。子どもたちは敷地内の公園やプールで遊び、大人もジムやウォーキングを楽しんでいます。カゴの中の小鳥のような気持ちも多少しますが…。
写真は1才のナナと、お手伝いさんのうちの1人シープローズです。彼女は21才で、ケニア西部ニャンザ出身(エイズ感染率の高い地域で有名)です。両親を亡くした彼女は、我が家に働きに来た当初は、表情がすごく暗く、声のトーンも低くて、本当に大丈夫かな…と心配になりました。でも、子どもたち3人の面倒で毎日忙しくしているためか、今ではずいぶん明るくなり、子どもたちのいいお姉さん的存在になってくれています。よかった、よかった…
写真は子犬です。売れないとすくすく育って大きくなっていくので、毎朝、子犬の成長をみるのがちょっと楽しみだったりします。でも、すごく大きくなったら売れないだろうな…そのとき、どうするのかな、と少し不安だったりします。
でも、私には正直、価値の分からないものばかりで迷惑なんですが…。 この品々、日本にもって帰るつもりみたいですが、日本の住宅事情で段ボールから出される日はいったいいつになることやら。
写真は彼のお気に入りの、コートジボワールのマスクなどです。
ケニアの結婚式に一度、招待されたことがあります。20代の若い夫婦にはすでに3歳の子供がいて、奥さんのお腹には2人目が宿っていました。結婚式を挙げる資金を親せき中から集めて、やっと式の日を迎えることができたそうです。新郎はカンバ民族で、新婦はメルー民族。 新郎はヤギを何匹か新婦の家に納めないといけませんが、最近はヤギの代金だけ渡すのが主流みたいでした。 大きな教会で来客50名以上集まる中、当時、ケニアで人気NO1だった車RAV4をわざわざレンタルして、新郎新婦はかなり遅れた時刻に、ド派手に登場しました。 家族からのプレゼントは、クッカー(電気調理器)。 でも大きすぎて今借りている家には入らないので、家を移らないといけない・・とか。 ケニア国内へ新婚旅行にも行くなど、超々、豪華な結婚式でした。 もっと、地道に節約したらいいのにと思うのですが・・、明日どうなるか分からないアフリカの常なのか、貯金の習慣が弱いためか、どうも、有り金をパアっと使って楽しんでしまうケニア人が多いような気がして、いつも考えさせられます。
ちなみに、我が家のお手伝いさんとドライバーさんの既婚者2人にも、結婚式のことを尋ねると、そんなのやるわけないじゃない、当然でしょう、といった表情で否定されました。聞いて、ごめんね…。ケニア人の間の貧富の差には本当に大きな差があります。でも給料これ以上、上げるのは無理です、ごめんなさい。
ちなみに、 私は3人姉妹の三女なのですが、今日は2番目の姉の紙(かみ)婚式です。1年が過ぎるのは何と早いことでしょう。姉夫婦がこれからも仲良く、今と変わらない気持ちでい続けてほしいなと願います。そして、2月3日は長女の結婚記念日でした。結婚16年目くらいでしょうか…すごい。
写真はケニアのお友達の誕生会で、子供らに人気のフェイスペインティングをしてもらった時のもの。ネネはおしゃれ好きで、マニキュアの真似をして赤いサインペンで手足の指の爪をすべて真っ赤に塗ったりしています。自分のだけでは飽き足りず、1歳の妹ナナの指の爪も真っ赤に塗りたくり、怪我して血でも出たのかとびっくりさせられました。
ケニアにも美白クリームが各種売られています。 School が始まる前にはスーパーで山積みです。ナイロビに住む日本人女性の間で密かに話題となっているのが、unilever社のFair&Lovely 。 日本円で100円くらい(50mg)のものからあります。中でもFair&LovelyのSilver と言うものが効くという噂なのですが、私はいまだ現物に出逢ったことがありません。仕方なくハーブ入りのものを使って、すでに2週間過ぎましたが、効果は実感できません。赤道直下の厳しい日差しにさらされる中、いつか効果がでたらと信じて、せっせと塗り続けているのですが・・。 でも、不思議なのは、地元のケニア人の娘さんたちも、やっぱり美白クリームって使っているのでしょうか? それともインド系の人たちだけなのでしょうか? 「黒人」と日本では一口でくくりますが、実際には顔色は民族ごとに様々です。スーダン南部の人たちは黒檀のような真っ黒い肌ですが、ケニアの民族キクユなんかは明るい茶色ですし。印象も全然違います。長男のハルは、地元の人の肌の色を必ず「ブラウン」と言い、「ブラック」とは言いません。それはともかく、どうも黒人の間でも、明るい茶色の顔色をした娘さんの方が「色白」として、モテるみたいです。
ハルの同級生のケニア人の女の子ワルグールのお誕生会にでかけました。ワルグールのお父さんはケニアの証券取引所の偉い方で、副業でコーヒー農園もしています。ワルグールも本当にお行儀が良くて、心根の優しい優等生です。 ケニアの裕福な家庭は、子供のバースデーパーティーでも派手にやります。ワルグールのパーティーでは、お料理・飲み物などすべて出張ボーイが担当、子供の世話もパーティカンパニーから4人も呼んで、手品をしたり、一緒に遊んだりしてくれました。 幼稚園の外でお母さんたちと話をすると、それぞれのご家庭の性格などがよく分かり、親も子もググっと仲良くなって良い機会だなといつも思います。ケニアに来たばかりの頃は英語が十分できず、他のお母さん達との会話が恐ろしく、身の詰まる思いで時間がたつのをひたすら待ち続けたものでした。でも、今では、英語は相変わらず上達しないものの、気の知れたお友達との会話は何とか楽しめるようになりました。みんな、心に余裕があるのか、英語が下手でも面倒がらず、きちんと付き合ってくれます。親も子も、黒人、白人、インド人、アジア人など混じり合い、みんな気軽に楽しみます。人種や民族、言葉が違っても、普通に仲良くやっていけるという当たり前のことに改めて気づくと、何だか嬉しくなります。
「でえ~、でかい!」 カメレオンベビー達との悲しい別れをした後、落ちこんだ気持ちでうちに戻る途中、先に仕事に戻ったはずのミスターカメレオンこと庭師のジョージが全長30cm近い大きなカメレオンを手に持って、私たちを待っていました。全身、ポスターカラーの緑色と黄色のきれいなカメレオンで「これはオスだぞ」と口数の少ないジョージが自慢げに差し出しました。 まさか、この巨大なヤツもうちで飼うの? 隣に立つパパを見ると、いかにも嬉しそうな目。 そんなこんなで、ベビーたちが去って寂しくなったばかりの我が家には、そのわずか15分後に新しい家族がやってきたのでした。 オスなのでマイケルと命名、メスのグレースと仲良くやっていけるかな? 今日は幼稚園の友達でオーストリア人の子のイマヌエルのうちにお泊まりに行ったハルが明日、マイケルにどんな反応するか、今から楽しみです。うしし。
カメレオンベビー達のエサ集めが予想外に難しく、せっかく取ってきたアリなどをあげても、うまく食べることができない日々が続きました。これ以上、ベビーを飼育するのはできないと、ついに決断。今日、母親のグレースがいた同じ場所にベビーらを放してあげることにしました。我が家で勝手に命名した「ミスター・カメレオン」こと庭師のジョージに案内してもらい、彼の手からブーゲンビリアの細い枝が垣根になっている現場にベビーたちを放すと、みんなワラワラと動いて枝をどんどん渡って行きました。さようなら、ベビー達、そして、たくさんの幸せな気持ちをありがとう…。 いつの間にか、泣きそうになっていました。 「小さな虫を上手に見つけて食べるのよ、鳥さんに見つからないようにするのよ。みんな、生き抜くのよ」。 心の中で独り、何度も念じていると、ジョージはさっさと仕事に戻るわ、ネネは「隠れん坊しようよぉ」と言い出すわ、ナナはマーガレットの腕の中で寝てるわ、で、みんな思いっきり、あっさりしていました。ひょっとして私だけ・・・。
ハルの幼稚園のお友達でインド系ケニア人のママから頼まれて、彼女のお宅で巻き寿司の作り方を教えることになりました。 住み込みのコックもいるのに、私でいいのかな?と恐縮しながらも、アボガドや卵、人参、きゅうり、レタスなどを巻きました。 お料理をしている間、ハルとネネはお友達のケイスや妹のケイリンと庭で大きな番犬を追いかけて遊んでいました。 日本食はナイロビでも人気があり、近ごろは寿司用の海苔も手に入るようになったせいか、たまに教えてほしいと頼まれるのです。 日本ではほとんど作ったりしないものでも、ケニアの生活の中で日本の味が恋しくなると、懐かしい味に少しでも近づけようと、現地調達できる食材などを駆使して試してみることもあります。
この家の隣はなんとケニアのキバキ大統領の家(新築中)で、巨大な敷地の周囲には門が数カ所ありました。 各門にはライフル銃を持った警備員が3人ずつ立って警戒していました。 でも、まだ大統領は引っ越してきていないんですけど・・・。 こんな様子も、治安が悪いケニアならでは、ですね。
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
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私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・