2012年1月からインドネシアから横浜に本帰国して暮らしています。パパ、小4のハル10歳、小2のネネ8歳、ナナ6歳の5人家族です。
04年から07年まで過ごしたケニア・ナイロビ生活、08年から11年末ジャカルタ生活。
ポレポレ&ティダ・アパアパに生活しています。
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昨日9月2日午後2時55分ごろ、ジャワ島西部で大きな地震がありました。地元メディアによると、死者は57人、けが人は約500人、行方不明は約40人だそうです。
私と子供3人はちょうど自宅で英語のレッスンを受けていました。先生はインドネシア人女性です。私は最初、小さな揺れを感じ、天井から吊るされた照明が揺れるのを見て、「あ、地震だな」と思いました。
意外と揺れは5分ほども続き、ゆっさ、ゆっさ、と横揺れが多くなってきたので、子供を「安全な場所」に集めました。部屋の中で、「ピシッ・・・ミシッ・・・」と言う不気味な音がし始めました…。外では、お手伝いさんらの悲鳴も聞こえてきました。
「安全な場所」と言うと、日本では机の下などが一般的ですが、ジャカルタの家具や部屋のインテリアには、ふんだんにガラスや鏡を使っているので、非常に危険です。
そこで、始めはガラス窓や壁一面の鏡、ガラス・テーブルなどから離れた壁にぴったりとくっついてみたのですが、すぐに長男ハル(8才)が「ママ、時計が落ちてきたら危ないよ、ここ」と言うので、部屋の玄関に行き、みんなに靴をはかせて、いつでも逃げ出せるよう待機することしました。
地震の揺れている間、インドネシア人の先生はかなりの慌てぶりでした。揺れの真っ最中、あたふたと荷物を整えて「私、帰ってもいい?逃げましょうよ」と言うので、「慌てないで。もう少し待ってから」と落ち着かせるのが大変でした。
大きな揺れがやっと収まると、すぐに、先生は帰って行きました。窓から外を見てみると、大勢の人がアパートのロビー付近に避難していました。火災や余震があると怖いので、私と子供3人、お手伝いさんのムナさんも、ロビーに避難することにしました。
ロビーには、恐怖の顔をしたお手伝いさん達が大勢いました。慌てて靴も履かずに飛び出してきたベビーシッターや、湯浴び中だったのか裸の子供をバスタオルに包んだ状態で抱っこしているベビーシッターなど。
この慌てぶりでは、この人達はちゃんと家のカギはかけてきたのかな?火の元は大丈夫?と心配になりました。
インドネシアは日本以上の地震大国ですが、私たちが昨年10月末に赴任して以来、ジャカルタではそんなに大きな地震はありませんでした。そのため、今回、なによりも驚いたのは、地震に慣れているはずのインドネシアの人々の慌てぶりでした。何が何でも逃げなければ、と、みんな必死の形相でした。
しかし、押し合いへし合いでは、かえって危険です。ちょうど地震の時、ショッピング・モールにいた友人も、大勢のインドネシア人達がドド~っと逃げ出したので、「爆弾テロでもあったの!?」と思って、生きた心地がしなかったと言ってました(苦笑)。
インドネシアの人々の中には「人生の中で一番大きな地震だった」と話す人もいたので、地震大国インドネシアでも、かなり大きな地震だったのは間違いありませんけれど…。
地震の日、夫はちょうどパキスタン出張で移動中で、またしても留守でした。
夫によると、夫の会社が入っているビルでも、インドネシアの人々の多くが慌ててビルから逃げ出そうとして非常階段がギュウギュウになって将棋倒しが起きそうになったり、突然「アッラー・アクバル」と何度も叫び出す人々もいた、と電話で聞いたそうです。よほど怖かったのだと思います。
私と子供3人はちょうど自宅で英語のレッスンを受けていました。先生はインドネシア人女性です。私は最初、小さな揺れを感じ、天井から吊るされた照明が揺れるのを見て、「あ、地震だな」と思いました。
意外と揺れは5分ほども続き、ゆっさ、ゆっさ、と横揺れが多くなってきたので、子供を「安全な場所」に集めました。部屋の中で、「ピシッ・・・ミシッ・・・」と言う不気味な音がし始めました…。外では、お手伝いさんらの悲鳴も聞こえてきました。
「安全な場所」と言うと、日本では机の下などが一般的ですが、ジャカルタの家具や部屋のインテリアには、ふんだんにガラスや鏡を使っているので、非常に危険です。
そこで、始めはガラス窓や壁一面の鏡、ガラス・テーブルなどから離れた壁にぴったりとくっついてみたのですが、すぐに長男ハル(8才)が「ママ、時計が落ちてきたら危ないよ、ここ」と言うので、部屋の玄関に行き、みんなに靴をはかせて、いつでも逃げ出せるよう待機することしました。
地震の揺れている間、インドネシア人の先生はかなりの慌てぶりでした。揺れの真っ最中、あたふたと荷物を整えて「私、帰ってもいい?逃げましょうよ」と言うので、「慌てないで。もう少し待ってから」と落ち着かせるのが大変でした。
大きな揺れがやっと収まると、すぐに、先生は帰って行きました。窓から外を見てみると、大勢の人がアパートのロビー付近に避難していました。火災や余震があると怖いので、私と子供3人、お手伝いさんのムナさんも、ロビーに避難することにしました。
ロビーには、恐怖の顔をしたお手伝いさん達が大勢いました。慌てて靴も履かずに飛び出してきたベビーシッターや、湯浴び中だったのか裸の子供をバスタオルに包んだ状態で抱っこしているベビーシッターなど。
この慌てぶりでは、この人達はちゃんと家のカギはかけてきたのかな?火の元は大丈夫?と心配になりました。
インドネシアは日本以上の地震大国ですが、私たちが昨年10月末に赴任して以来、ジャカルタではそんなに大きな地震はありませんでした。そのため、今回、なによりも驚いたのは、地震に慣れているはずのインドネシアの人々の慌てぶりでした。何が何でも逃げなければ、と、みんな必死の形相でした。
しかし、押し合いへし合いでは、かえって危険です。ちょうど地震の時、ショッピング・モールにいた友人も、大勢のインドネシア人達がドド~っと逃げ出したので、「爆弾テロでもあったの!?」と思って、生きた心地がしなかったと言ってました(苦笑)。
インドネシアの人々の中には「人生の中で一番大きな地震だった」と話す人もいたので、地震大国インドネシアでも、かなり大きな地震だったのは間違いありませんけれど…。
地震の日、夫はちょうどパキスタン出張で移動中で、またしても留守でした。
夫によると、夫の会社が入っているビルでも、インドネシアの人々の多くが慌ててビルから逃げ出そうとして非常階段がギュウギュウになって将棋倒しが起きそうになったり、突然「アッラー・アクバル」と何度も叫び出す人々もいた、と電話で聞いたそうです。よほど怖かったのだと思います。
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ぷろふぃーる
HN:
ふっちんち
性別:
女性
自己紹介:
☆ 2012年1月3日 ☆
ケニアからインドネシアへ、そして私達の母国、日本に戻ってきました。
◎当ブログの画像に関する著作権は 『南色日和 ポレポレふっちんちケニア生活』に属します。
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私が貼り付けたものじゃないのですぅ・・・読みにくくて悲しい・・・
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